2015年7月1日水曜日

自己愛(ナル)な人(19/100)

木嶋佳苗の本がやっと手に入った。今回はこれを参考に書く。順不同だ。

恋愛詐欺のナルシシスト(続)

北原みのり 「毒婦 - 木嶋佳苗 100日裁判傍聴記」 講談社文庫 2013
を読んでみた。裁判傍聴記であり、本人の思考や自己正当化などを見ることは出来ないが、彼女が傍目にどう映っていたのかを知る上で大いに参考になる。結論から言って、木嶋はサイコパス的な自己愛者の一型としての、恋愛詐欺のナルシシストといえるのかということだが、ほぼそう言っていいと思う。
著者は傍聴を始めてすぐに、ある種の木嶋の魅力に取り込まれる。北原の記述を元に少しまとめよう。(ネットからただで拾った情報ではなく、お金を出した本なので、あまり良心の仮借なく、これが出来るのだ。)
 木嶋は逮捕当時34歳、インターネットで知り合った男性たちから1億円以上のお金を受け取り、彼女の周囲では複数の男性の不審死が起きた。マスコミが特に注目したのは、彼女の容姿だった。「どうしてこんな容姿で、男たちを次々にだませたのだろう。もし彼女が美人だったら問われなかったようなことが、まるで大きな問題のように扱われた。」(北原P3)(← 私はまじめだから、やはりコピペには気が引ける。当たり前か。)ところが法廷で見せる彼女の以外に繊細で洗練された身のこなしに驚く。周囲の傍聴人も「意外にイケるじゃないか」「可愛い」などの声が聞こえたという。そして法廷での彼女の服装の選択、書類にボールペンで文字を書くしぐさ、それらの一つ一つの所作が綺麗だ、とまで言うのである。
 裁判では彼女の歯牙にかかった男性とのかかわりが明かされていくが、彼らが彼女に引かれていくプロセスはそれなりによくわかる。メールの文章が量が多く、心遣いもこまやかである。得意の料理でもてなす。自分のセックスの魅力や、誘いかけをさりげなく織り込む。多くの男性が一度会った木嶋に、見かけ以上の魅力を感じ、信頼を寄せていく。そこにあるのは彼女の自信にあふれたしぐさ、料理の腕前、気の配りの細やかさである。それでいて彼女はいつも男性と会う時、すっぴんで会っていたらしい。そして自分の容姿に対する自信のなさを否定しない。むしろ「私は内面を磨いています」という言い方をして、誠実さ、心の美しさ、人間的な魅力をさりげなくアピールするのである。そして男性が木嶋に会う際に同伴した家族などからも好印象を引き出す。
しかし、である。彼女の頭には男性が金づる以外の何物にも見えていない。ビーフシチューを振舞うのと平行して、男性の自殺を装うための練炭をしっかり用意するのである。


私はこの部分を「毒婦」の最初の50ページ程度を読んで書いているのだが、(もちろんちゃんと最後まで読むつもりだ)すでにここまでで、木嶋が腕利きの accomplished サイコパスであることがわかる。なぜ彼女がブランド品に身を包んだり、口紅を塗ったり、脂肪吸引をしたり、付けマをしたりしないのか。それは内面の美しさを「演出」するためだろう。人をだますのにあからさまな仮面をつけるのは逆効果である。内面から誠実さがにじみ出てくるかのように見せることが大事なのだ。そしてそのためには、ある意味で自分が内面から美しく誠実であると信じ込んでいることが必要なのだ。ここ、わかってもらえるだろうか?この点がナルシシズムの真骨頂なのだ。
  彼女は自らを犯罪者、悪者とは思っていないだろう。彼女は確かに人殺しである。人を殺したことを彼女は心の中ではちゃんと認めている。でもその部分と、男性につくし、信頼を勝ち得ている部分は見事に切り離され、別個に成立している。彼女の自伝的小説「礼賛」に見られるような、男性をあたかも救済していたかのような記述(←本が高いので実は買っていないのに、読んでいるかの書き方をしている。私もサイコパスだ。)は、彼女の本心でもあるのだ。