2015年6月30日火曜日

自己愛(ナル)な人(18/100)

不安や対人緊張の欠落も、ナルシシズムを促進する

それでは一部のサイコパスはどうして残酷に、苛酷になれるのだろうか? そこで注目しないわけにはいかないファクターがある。それは彼らの不安や恐怖の希薄さ、ないしは欠如である。少し前のページで、サイコパスの共感能力の欠如について述べた。人を共感し感情移入をする能力をつかさどる大脳の前頭前皮質の腹側部という部分の活動が、サイコパスの人々では低下していると述べた。
サイコパスの人たちの自律神経系の反応の低さは以前から指摘されてきた。簡単にいえば、彼らは不安でドキドキしたり、手に汗を握ったり、という体の反応に乏しいのである。彼らが自らの行為が招くであろう重い刑罰や社会的な制裁を想像しても、それが彼らの反社会的な行動を抑制しにくいのにはそのような事情があるのだ。
 
サイコパスのそのような性質は、まるで彼らが感情を持たない、ロボットのような存在ではないかという私たちの想像を促す。ところがそう言われた彼らの反応は興味深い。ヘアの本にこのような例がある。「冗談じゃない。とんでもないぜ。」「もしおれが感情を持ってないだなんて思っているなら、そいつは間違いだ。全くの間違いだ。おれはまさに感情的な男だし、体中感情だらけさ。」20歳前後の女性を19人も誘拐して殺害した凶悪連続殺人魔、テッド・バンディの言葉だという。
 しかしサイコパスは自らの感情を自由にコントロールして表現するようなところがある。突然スイッチが入ったように怒り狂い、残虐性を示す。かと思えば本当に人に同情しているかのごとく涙を流す。女性に対して心からの親愛の情を示しているかのように映る。それらの感情表現の巧みさもまた、他人をだまし利用するための貴重な道具なのだ。
一つ言えることがある。それは彼らが快感追求型であるということだ。それだけは間違いない。サイコパスたちが本当の意味で心を動かし、素(す)になれる瞬間。それはスリルを味わうときであり、興奮を味わっている時である。人を上手くだませた時。人を殴りつけて拳が相手の骨を砕く感覚を味わった時。脱獄をしてパトカーのサイレンに追われている時。コカインを鼻から啜っている時。セックスに浸るとき。夜中の高速道路を爆走している時・・・・。ある意味で彼らの感情は快か不快かのきわめて単純なスイッチのオン、オフでしかない。しかも極端な不快は直ちに相手への攻撃により解消が図られてしまう。彼らは持続的に苦しみを味わって鬱になる能力がないのだ。
 サイコパス的なナルシシストは、モノクロか、二色刷りの人生しか送っていないことになる。彼らは自分や他人の感情の微妙な濃淡は味わえない。料理でいえば、極端に甘いか辛いかしかわからず、微妙な味わいがわからない。ある意味で快感の感度が鈍っている。脳科学的に言えばドーパミンの受容体は、より多量のドーパミン刺激で持って初めて興奮する。だから人の何倍の興奮を追い求めているのだ。