2015年6月17日水曜日

自己愛(ナル)な人(5/200)

厚皮型の自己愛は、基本はたたき上げである
(上に媚びて下に傲慢な自己愛者)

厚皮型の自己愛はたたき上げであることが多い。それは「ボスざるがたたき上げである」と先ほど言ったことと同じだ。それはどういうことかといえば、社会の中で最初は上位の人間に使え、おべっかを使うことから始まり、つまりは上位の人間の自己愛が満足するように振る舞い、同時に自分より下位の人間にはしっかり自己愛を発揮し、そうしてしっかり自分の位置を築いていく、ということだ。厚皮型自己愛の人は、昔は巧みなゴマすり、おべっか使いでもあったのだ。それが徐々に順位を上げて、最後には厚皮型のボスにのし上がるのである。
ところでこんなことを書くと、読者の中には、「この現代の平等社会には、人間に上も下もないだろう。」と思われる方もいるかもしれない。しかしそれはとんでもないことである。人間社会は格差社会である。そして人は格差を必要としている。問題はその格差がアンフェアであり、いじめや虐待を含んでいる場合だ。それは何とか防がなくてはならない。しかし人が社会で整然と生活するためには、「順番」はどうしても必要である。そしてそれは言うならば「強さ」の順番なのだ。そしてそこに秩序が生まれ、自己愛が生まれ、そして非常に残念なことに、虐待やいじめの温床にもなってしまう。人間社会とはそういうものだ。 
理想的な格差社会(と言うとヘンな響きがあるが)というものを考えてみよう。たとえばあなたが大学のサークル活動に入る。テニス同好会でも何でもいい。そこでは一年生は最下層に属し、道具運びや部室の掃除などの下働きを任される。先輩の世話を焼かなくてはならない。理不尽な説教にも耐えるということも多少は起きるかもしれない。 しかし同時にテニスラケットの持ち方や素振りの仕方を位置から教えてもらえる。先輩を立て、敬語を使い、席を譲ることで先輩の自己愛を見立つ一方では、あなたは彼らから「かわいがられ」もする。まだテニスの試合経験もゼロで右も左もわからないあなたには、それが心地よく、安心感をも与えられる。
ここで「心のバランスシート」を考えるならば、あなたは先輩の自己愛を満たしてあげる。これは気を使い我慢をする分「マイナス」だろう。しかし可愛がられ、テニスを教えてもらい、時には食事をおごってもらうと言う「プラス」も存在する。それに一年我慢すれば、来年には新入生が入ってきて、少なくとも彼らに対しては大きな顔をしていられる、という希望もあるのである。
ここで「たたき上げ」の意味を確認しておきたい。後輩としてのあなたは、当然先輩に気を使う。部室に先輩が入ってきたら、席を譲るだろう。言葉は丁寧に話し、タメなら「そうだね」というかわりに「そうですね」と言う。先輩が不快に感じていないか、と言う想像力を働かせ、エネルギーをそれだけ使うのだ。それができないと「礼儀知らず」「生意気」「空気が読めないやつ」などと言われるだろう。それに比べて先輩は後輩にはエネルギーをさほど使わない。
 さて学年が上がっていき、最上級生の4年になると、部室で自分が気を使う相手はいなくなるだろう。一番「省エネ」でいられるのだ。黙っているだけで、席を譲られ、お茶も出てくるかもしれない。
ここで後輩に気を使わなくていい、と言う部分が厚皮を形成していると言うことはいいだろう。厚皮とは結局、「鈍感さ」と言うよりは「ここには気を使わなくていいのだ」と言う判断や認知により成り立っている。習慣、と言ってもいい。昔奴隷が存在していたころ、若い女性は奴隷の前で着替えることに気恥ずかしさを感じなかったと言う。それは奴隷を人間と認知しない、と言う習慣があったからこそできたことであり、その女性が特別鈍感だったからと言うことを意味しない。自分の感受性の感度を鈍らせてたと言うだけでもある。だから厚皮それ自体が悪い、と言うわけではない。

しかし省エネでいられるあなたがおとなしくしているかと言えば、そうではない。もうひとつ別のテーマが頭をもたげてくる。それはえらそうにして、自慢話を聞かせ、下級生にイチャモンをつけていびるかもしれない。そのときに、そこで同時に厚皮が悪さを発揮する。相手の気を使う必要がないという習慣や認知がそこに加わると、かなりたちの悪いいじめを起こす可能性がある。