2015年6月12日金曜日

あきらめと受け入れ(推敲後)(5)最終回


最後に; 誰のために、何のために死ぬのか?

人にはそれぞれの人生の終え方がある。それにしても昔の人の生き方は壮絶だったね。西郷隆盛、坂本竜馬などの人生を考えてきたが、幕末の志士たちは常に「何のために死ぬのか?」が頭にあったようだ。不謹慎かもしれないが、彼らの人生はそれほど安楽で楽しいものではなかったせいではないか? 彼らは常に命の危険を感じ取っていた。人は疫病や感染症で簡単に命を失くした。「生きている心地がしなかった」のではないか。彼らの子供は、配偶者は、その多くが恐らく原因不明のまま臥せり、治療もなくあっという間に人生を終えていたのである。出産一つをとっても、子供が、母体が生き残る確率はかなり低かったはずだ。命はまさに明日には奪われるかもしれない危うさを伴っていた。
 そのような人生においては、死生観はおのずと左右されるだろう。いかに死ぬか、どのように名を残すかは、それこそ死活問題(ヘンな表現だが)だったのである。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」(十訓抄)。死が明日をも知れぬ時、ともかくも墓標に残されるだけのことをしたい、と男子の多くが思っていたのかもしれない。死が向こうから唐突かつ理不尽な形でやってくる前に、こちらからその在り方を選び取ってしまうのである。
 ここで人生が安楽ではなかった、というのは重要な点ではないか?お隣の韓国などを見ていると、生活苦(就職できない、いじめを受ける、など)と自殺との顕著な関係を見る事が出来る。(しかしどうしてあれほど自殺率が高いのか・・・・・)そうなると「死」は苦しみを終わらせる手段というとても積極的な意味を持ち始めるのだ。「やむなく受け入れるもの」ではなくて。私は現代人の人生が、昔の人々に比べて安楽だとは一概には言えないと思う。
 しかし余談だが、現代社会では快適さの入手が、あまりにも簡単なのである。エアコンのおかげで、暑さ寒さの苦しみから解放された。移動手段など革命的だ。何日もかけて徒歩で移動したところに、新幹線で一駅で行ける。パソコンに向かえばあっという間に世界の情報を入手できる。そして寝ころんだまま、一日中ゲームで暇をつぶす事が出来る。人はなかなか死なないし、死を回避する手段はいくらでもある。ピンチだと思ったら、救急車を呼べばいい世の中だ。(しかも処置の仕方が悪ければ、病院を訴える事が出来る立場なのだ。)
ともかくも、現代社会における恩恵が得られる以前の世界においては、死は人生設計の上にかなり重要な意味を有していたのではないか?死は避けるべきテーマではなく、人生を考えるうえで前提とすべきものだった。死がいたずらに奪われる前に、恥ずかしくない毛づくろいをして、(先ほどのたとえでいえば)「革」を準備しておく。革とはつまり、自分の人生や死の意味だったのである。
ホフマン流に言えば、人生の意味を考えることは、防衛であろう。死が圧倒的な意味の不在であるからこそ不安なのだ。そこに無理やりにでも意味を見出すことは、私たちを救ってくれるのである。自分が死んで後に何かが残る。それはある意味で自分の人生を延長してくれるのである。安永浩先生は「ファントム理論」を遺した。やはりまぎれもない遺産なのである。私にとっての、内沼幸雄先生の「対人恐怖の人間学」は遺産だ。内沼先生はもちろんご存命だが、たとえ先生が亡くなった後も、私はこの本でつながっている。
 私は思うのだが、人はなぜあまり書き残そうとしないのだろう?お仲間たちを見ていると、学会や所属団体での役目や地位が関心事のようだが、私は基本的にはそれらに関心がないのは、役目が終われば消えてしまうからである。A会社のBというポジション。でも人気が暮が終わり。Bというポジションを全うするためのノウハウ、知識、経験値はどこにも残らない。もちろん同僚や後輩や、会社そのものへの貢献はあるだろう。でももしそれが他の誰にでもできることだとしたら。社史などに名前が小さく刻まれるだけ。誰も読まない。それよりはそれこそ俳句の会にでも入り、一つでもユニークな句を残し、それがどこかの媒体に残るほうがいいのではないか。人の心にインパクトを残すような絵でもいい。そう、印刷され、あるいは媒体に残ることは大事だ。墓石があるか、野の仏か、の違いくらいある。
ということでこのエッセイは終わらない・・・・。
 最後に一つの結論。死について認めることは、私たちの日常にとっては福音である。なぜか。それは死がわからないから不安の原因になるのである。死は言うならば夏休みに宿題を最後の日までやらないようなものだ。伸び伸びと夏休みを楽しむことが出来ないのである。宿題はもう済ませよう。というより毎日少しずつやろう。夏休みの、いや人生のベストな過ごし方はそこにあるのだ。
 (終わり)