2015年6月13日土曜日

自己愛(ナル)な人(1/200)

ナンだ?新連載か?また「オトナの事情」である。

ちなみに1/200などというイミシンなナンバリングには、なんの意味も根拠もない。


 はじめに
世の中は自己愛的(ナル)な人間であふれている。別に悪いと言っているわけではない。私たちの一部は、強いリーダーシップを取る人、断言口調でものを言う人、有無を言わさずに道を指示してくれる人を求めているのだから。たちの悪くないナルは、私たちにとっての指導者でもある。
 でもそれにしても酷すぎはしないか。私たち国民の99%は、おそらく自己愛的な人々により、悪い方向に人生を支配されているのだ。
自己愛的な人として私が本書で取り上げたいのは、何も傲慢な政治家や役人や上司や、大学教授や医師や弁護士だけではない。家に帰れば「大ボス」がいて、箸の持ち方、歯ブラシの使い方、トイレのフタの閉め方一つにまで指導が入る。もちろんそれはカミさんかもしれないし、亭主かもしれないし、自室に居座る引きこもりの息子かもしれない。気弱な人々(ナルな人々の対極の人々である)は、そのそばにいるだけで圧倒され、あるいは逆らうことが面倒臭くなり、結局支配される。隠れナルはいたるところにいる。
 あるいは「あなただけにとってのナル」という存在もいるかもしれない。その人は会社で、家で、あなただけにぞんざいな口のきき方をし、暗に命令を下してくるのだ。しかしそれ以外の人には愛想をふりまき、「Aさんって、そんな人じゃないよ。意外といい人だよ。」となる。あなたは「Aさんを誤解している」というレッテルを張られてしまい、さびしい思いをするのである。
自己愛は人間が大きくなり、世の中で地位を築くにつれて肥大してくものだが、だったら子供には見られないかと思えばそんなことはない。すでに幼稚園にはいじめが存在する。そのいじめの中心には何らかのボス的な存在がいる。将来の自己愛的人間の最有力候補である。
 私はこの自己愛の問題を社会問題だとか現代病だとか、一概にネガティブな問題としてとらえるつもりはない。自己愛的な存在は、おそらくサルやオオカミなどの群生動物に特有な性質に関係している。人間は順位を必要としている。要するにどちらが強いか、ということだ。それを敏感に察知することから社会生活が始まる。それをいかに敏感に察知し、自分のために用いようとするかによって、その人のナル度が決まるのだ。

さて本書では自己愛的な人間についていくつかに分類して論じることを目標としている。とりあえず以下の通り大雑把に分けてみよう。
l  厚皮の自己愛者
l  薄皮の自己愛者
l  サイコパス的な自己愛者
l  アスペルガーを含んだ自己愛者
l  上に媚びて下に傲慢な自己愛者
l  家の中にいる自己愛者

l  貴方の中の自己愛者