2015年5月23日土曜日

「大文字の解離」理論 (2)

ヴァンデアハート先生によれば、(Dbook,P1019世紀、20世紀と、解離の議論は分析でも非分析の世界でもあったが、微妙にニュアンスが違っていたのだという。後者は二つの点を前提としていた。
1.ストレスに出会うと、心の統合能力が一時的に損なわれる。
2.同時に、スプリットオフされた心の部分が発達する。
バンデアハートによれば、このうちの1しか認めないのが、分析であるという。この1は、防衛として用いられると説明されたが、2の方は考えなかった。彼によると、この違いは決定的であり、したがって両者の理論的な応用は無理であるといういい方もしている。私はこのヴァンデアハートさんの意見はよくわかるが、一つ問題が生じる。もし2.を認めないとしたら、分析家にとっての別人格は、意図的なお芝居として扱われるか、あるいは患者の側のある種の注意を引くための目論見であると指摘棄却されるということか?
彼はもう一つ重要なことも言っている。ブロイアーもフロイトも、ジャネには反対していて、「ジャネは生まれつきの心の弱さが問題だ、と言ったが違う。むしろ解離が心の弱さを導くのだ」と言った。でもジャネもしっかり、体験が持つ解離への影響も言っているのだ、と。これもその通りだろう。このあたりの議論もやはりフロイトの方が分が悪い、ということだ。でもそのフロイトがそれから一世を風靡するのであるから世の中わからない。

フェレンツィも、フェアバーンも、ウィニコットもフロイトに反対だった


 ここで一つ心強いのは、フロイト以外の分析家たちは、フロイトとは意見を異にしていたということである。フロイトの同時代人に限っても、フェレンツィも、フェアバーンも、ウィニコットも解離をもう少しまともに扱っている。むしろこの3人はフロイトほどあっさりと解離の概念を棄却しなかったというわけだ。
 もっとも早くからフロイトの考えに反対の声を上げたのは、フェレンツィであった。すでに1933年に、彼は意識のスプリッティングは幼児期のトラウマに由来するのだ、と述べている。そしてトラウマが繰り返されると、そのスプリッティングがより複雑となり、別々のパーソナリティが形成される、ということまで言っているというのだ。これがいわゆる「言葉の混乱」の論文である。Ferenczi, S. ( 1933/1949). Confusion of tongues between the adult and the child. International Journal of Psychoanalysis, 30, 225-230. 
 この日本語訳は、「精神分析への最後の貢献―フェレンツィ後記著作集― 森茂起ほか訳 岩崎学術出版社、2007年」で読むことが出来る。

この辺の事情はマッソンの本にもあった。少し読んでみよう。

 マッソンの the Assault on Truth (1984)によると、1930年代にフェレンツィは、フロイトが一度は捨てた考えに回帰していた。それはヒステリーの多くが患者が体験した幼児期の性的トラウマに由来するというものである。それは当時の学会で恐る恐る発表して大反対にあったのである。このフェレンツィの発表は、1932年になされ、フロイトはその場にいなかったが、際物扱いされ、結局最終的にマイクル・バリントに翻訳されて国際精神分析学会誌に掲載されたのが、1949年であったという。


結局40ページにもわたるフェレンツィに関する論述を読んでみると、フロイトはフェレンツィの論文を発表させないことに非常な努力を払ったのだ。他方ではフロイトはフェレンチのいくつかの実験的な試み、たとえば患者にキスをする、キスさせる、患者にひざまくらをして撫でる、などを本人や患者から知らされ、それをたしなめるような努力をしているが、決定的なのはフェレンツィの論文にあった「患者たちは実際のトラウマを幼少時に負っている」という見解だったのだ。フロイトは「あなたは私が1890年代に犯していた過ちを今繰り返しているのだ。」と言ったのである。フェレンツィは悪性貧血で亡くなる前にかなり精神状態が危うくなったが、周囲は最終的にはフェレンツィはパラノイア(妄想症)になってしまったのであり、その論文もその妄想のせいだという風に片づけたのである。