2015年5月22日金曜日

「大文字の解離」理論 (1)

と言っても焼き直しだけれど。
精神分析における解離-大文字の「解離」理論にむけて
 精神分析理論と解離との関係はフロイトにさかのぼるが、フロイトはブロイラーにより見出された解離現象(類催眠状態)の概念には満足できず、欲動論とセットとなった抑圧理論を重んじた。そこには同時に当時の「ヒステリー患者」の多くがこうむっていたであろうトラウマに関する軽視ないしはその可能性の棄却もあったといわれる。フロイトのそのような考え方については、同時代人であるフェレンツィも、また英国の中間学派のフェアバーンやウィニコットやバリントも意見を異にしていた。彼らは解離の概念を精神分析の文脈で用いたが、その後解離の概念が重視されるには至らなかった。さらには時代が下ってサリバンもトラウマ理論と結びついた解離の機制に着目したが、やはり十分な評価を得られなかった。このようにトラウマ―解離理論は精神分析の主流からは切り離された形で進展したが、近年になり解離に着目した精神分析理論が新たに提唱されつつある。フィリップ・ブロンバークやドンネル・スターンらによって論じらる解離は、抑圧とは異なる次元での人間の心のあり方を捉えている。しかし彼らの論じる、いわゆる「弱い解離」は、解離性同一性障害に見られるような深刻な病理の説明図式としては、今一歩不十分であるという印象を受ける。発表者としては、「強い解離」、ないしは「大文字の解離 Dissociation」に関する分析的な解離理論が必要であると考えている・・・。
みたいなことを書いたんだったな。これに沿った話にしなきゃ。
解離性障害と分析の理論については、先ずはフロイトから始めるべきだろうが、実はフロイトは解離という考え方を敬遠していた。それは解離論者であるジャネとの確執以前の、ブロイアーとの意見の対立にすでに表れていた。この点に注目したいのは、この種の解離に対する考え方の対立は今の精神医学会においても多かれ少なかれ残っているからである。
フロイトは多くの患者が虐待やトラウマを受けているという報告を受け、ブロイアーを勇気付ける形で「ヒステリー研究」を一緒に著した。そしてヒステリーすなわち解離性障害の患者の臨床像を共に描く際、ブロイアーはそれを類催眠状態と呼んだが、それに対してフロイトは徐々に不満を表明するようになっていった。
SE7巻のドラの症例(P27)にあるフロイトの非常に強い口調を紹介しよう。
そもそも類催眠状態というのはトラウマの患者に見られ、それ以降の異常心理の根底にあるように考えられているようだが、私はその考えは捨てたのである。もし[ブロイアーとの]共著が問題となるのであれば、仕事の分担をここで明らかにするのがいいだろう。この場を借りて言いたいのだが、「類催眠状態」という仮説は、私たちの著作の中心部分だというように批評者は考える傾向にあるようだが、ここは完全にブロイアーのイニシャティブによるものだったのだ。私はそのような用語を使うのは、無駄だし誤解を生む superfulous and misleading と言いたい。なぜならそれはヒステリーの症状の生成に伴う心理プロセスの性質に関して、その問題の連続性を絶ってしまうからだ。
ではどうしてフロイトはこの類催眠状態という考えを受け入れられなかったのか?それはこれが心が二つにスプリットする、という前提があったからである。その考え方が力動的でない、というわけだ。ここは少しややこしい議論だが、決定的に重要である。
「ヒステリー研究」の最終章から引用する。SE286ページ。
ブロイアーと私は、ヒステリーは二種類ある、ということになった。類催眠ヒステリーと貯留ヒステリー retention hysteria である。前者は最初に提案されたが、それは転換による防衛 defense by conversion とは違うものだ。ブロイアーによると、思考が病的になるのは idea becomes pathogenic それが自我の外にとどまるからだ、と考えた。そうなると、その思考が自我の外にとどまることに関しては、類催眠を用いるならばいかなる心的な力もそれには必要がないことになるし、そこに抵抗が起きる必要はないことになる。実際にアンナOではそのような抵抗は見られなかったのだ。私はこの類催眠という概念を認めることにやぶさかではないのだが、実は私自身は真正の類催眠状態を見たことがないのだ。私のあった患者は結局は防衛ヒステリーだった。もちろん私だって類催眠のような状態を体験しなかったわけではない。でも結局類催眠と言われる状態も、防衛によるスプリッティングの結果として心が切り離されたと考えるしかない。
さらに「防衛神経精神病」(1894SE3 P46 を読んでみるとわかりやすい。

私は結局、恐怖症と強迫神経症と、ヒステリーは同じようなことが起きている、と言いたいのである。ジャネやブロイアーの仕事によれば、ヒステリーとは一種の意識のスプリッティング splitting of Consciousness が起きているとみていいだろう。問題は、このスプリッティングがどのように起きるか、ということだ。ジャネによれば、結局これらの患者は精神統合の力の不足 innate weakness of the capacity for psychical synthesis であるという。そしてそれが患者さんにとってはプライマリー、すなわち生まれつき、というのだ。ところがジャネと違い、ブロイアーは私との共同研究で、類催眠状態、ということを言い出した。その考えによると意識のスプリッティングは二次的なものという。つまりそこで浮かんできた考えが意識から切り離されるからだというのだ。ここで私はそれ以外の二つの状態を提案したい。それは、意識のスプリッティングが、患者の意図的な行動 act of will の結果として生じた場合である。つまりそれが意志の努力 effort of will により起こされるのだ。だからと言ってもちろん、患者が意識のスプリッティングを起こさせようとしたというのではない。別の目的を持っていたが、それが起きず、その代わりに意識のスプリッティングが起きてしまったというわけである。
そして三番目だ。そこでは意識のスプリッティングはほとんど起きない。そこではトラウマ的な刺激への反応は起きなかったのだ。そしてそれは徐反応により解決した。つまりこれは純粋な貯留ヒステリーということになる。


私はこのフロイトの解離の概念の拒否は、フロイトはそもそも二つの矛盾するテーマを扱っていたからである、と考えるのが一番理解しやすいと思う。それは欲動論という理論と臨床的な現実である。一方では彼は根っからの欲動論者だった。彼が頭に描いていた図式は、精神に内在したエネルギーを基本にしたものだったからだ。ある流体が鬱滞することで精神の障害を来たすという考え方は、フロイトより100年前のメスメルの動物磁気からきているし、その源流はヒポクラテスの「体液説」にまでさかのぼる。これは18世紀病理解剖学が生まれるまでは臨床医学の主流の考え方だった考えであったのだ。) そしてこれは理論上の話である。
  フロイトの矛盾したテーマのもう片方、すなわち性的な誘惑やトラウマは外からこうむるものだ。「内因か、それとも外因か?」という見方も出来るかもしれない。その両者をどのように成立させるか。彼が至ったのは、「トラウマがリビドーを高めたからそれを抑圧した結果神経症を生んだ」という理論であった。これは整合性はあるものの、大変な誤解を生む可能性を残す。「幼児期の性的なトラウマは、犠牲者が刺激されて性的興奮が起きてしまったことが原因だった。」これは大変かつ誤った危険なメッセージである。