2015年5月21日木曜日

すごく大事な訂正事項


暴力についての論文を最終的に仕上げる意味で、私は「サイコパス・インサイド」(ジェームス・ファロン)を購入して読んだ。実は新刊本で高いので購入するのを躊躇していたのだが、論文を書くためにはぜひとも必要だと思った。しかしどの程度新しい内容が入っているのかと思って読んでみると・・・・。やはり買ってよかった!! 私はアスペルガー者(基本的には善人)とサイコパス(悪人)とを混同するところであった。その結果論文の一部は以下に書き換えられることとなった。アーよかった…。とにかく必読書である。




2.相手の痛みを感じることが出来ない場合

加害殺傷のファンタジーはすべての人が当たり前に持っているとすれば、それが行動に移されないのは加害行為に対する恐怖と罪悪感という強力なストッパーがかかっているからだ、と論じた。すると恐怖や罪悪感がそもそも希薄だったり欠如していたりする人の場合にはどうだろうか、という問題になる。あたかもゲームで人を殺すようにして、実際の殺害行為に及ぶことになることになりはしないか? 活動性や動きにより「効果」をもたらしたいという願望、そのためのファンタジーにおける殺戮。それに罪悪感の希薄さや欠如が加われば、それが実際の他人に向けられても不思議はない。注目していただきたいのは、彼らが特別高い「攻撃性」を備えている必要すらないということだ。彼らの胸にあるのは「どうしてテレビゲームで敵を倒すようにして人を殺してはいけないの?」という素朴な疑問だけであろう。
「人を殺してみたかった」という犯罪者の言葉を、私はこれまでに二度聞いたと記憶している。一人は2000年の豊川事件。もう一人は昨年(2014)7月の佐世保での事件だったのだ。後者の事件の加害少女は、小学校のときに給食に農薬を混入させ、中学のときには猫を虐待死させて解剖するという事件を起こしている。さらには昨年の事件の前には父親を金属バットで殴り重傷を負わせている。そこにはそれらの行為による「効果」に興味を持ち、楽しんでいるというニュアンスが伺えるのである。
ではどのような場合にこの「人の痛みを感じられない」という問題が生じるのだろうか?
他人の感情を感じ取りにくい病理として、私たちはまずはサイコパス、ないしはソシオパスと呼ばれる人々を思い浮かべるであろう。いわゆる犯罪者人格である。また自閉症やアスペルガー障害などの発達障害を考えることが出来るかもしれない。確かに残虐な事件の背景に、犯人の発達障害的な問題が垣間見られることはしばしばある。

まずはコアなサイコパス群についてである。彼らの多くは言語的なコミュニケーション能力や社会性を有し、そのために他人を欺きやすい。2001年の池田小事件の犯人などは、典型的なサイコパスでありながらも何度も結婚までし遂げている。なぜ他人の痛みがわからない人が社会性を身につけるのかについては不明だが、おそらくある種の知性はかなりの程度まで社会性を偽装することに用いることが出来るのであろう。あるいは彼らの他人の痛みを感じる能力には、「オン、オフ」があるのかもしれない。
 最近わが国でも評判となっている著書で、ファロンは大脳の前頭前皮質の腹側部と背側部における機能の違いから説明する。前者はいわば「熱い認知」に関係し、情動記憶や社会的、倫理的な認知に対応し、後者は「冷たい認知」すなわち理性的な認知を意味する。そしてサイコパスにおいては特に前者の機能不全が観察されているとする。それに比べてむしろ後者の「冷たい認知」に障害を有するのが自閉症であるとする。