2015年4月4日土曜日

恩師論の後半、大幅に追記した

ああ、桜が・・・・


そもそも師匠・弟子関係は搾取的、あるいは自己愛的な部分をはらんでいる

人が他人に及ぼす影響ということを考えた時、そこにはある一般的な原則があるようだ。「人に影響力を及ぼす人は、同時に自己愛的で押しつけがましいことが多い。
もちろん一般論である。「ことが多い」と強調するのは、これをなるべく一般化しないためだ。そう断ったうえで言えば、人の他人への影響力は、その人がどれだけ声が大きく、どれだけ自分の考えに確信を持ち、どれだけ他人にその考えを押し付けるかに多大に影響している。影響を与える人間は一般的に言えば、自己愛的な人間ということになる。この例外などほとんどであったことがない気がする。
もちろん素晴らしい理論を持ち、著作をあらわし、人間性にも優れているにもかかわらず、謙虚でつつましく、自己宣伝の全くない、そして自身のない人もいるだろう。自己愛的であることは、影響力を及ぼすための必要条件ではない。ただしその控えめな人がもう少し自信を持ち、もう少し自己表現の機会を持ったならば、さらに大きな影響力を及ぼす可能性がある。その意味で人が影響力を持つことと自己愛的であることにはかなり密接な関係があるのだ。そしてそれはとりもなおさず、弟子との間にパワハラが生じやすい可能性をも表している。ある人が恩師として慕われる一方では、一部の人たちにとってはパワハラを与える存在でもある、という可能性は、十分あるのだ。
この問題は、人間の関係性が持つ搾取的な側面として一般化してもいいであろう。関係に純粋に平等なものはあり得ず、互いが互いを利用するという側面はどうしても付きまとうものだ。

師弟関係がお互いに利用しあう、ということに付いては、たとえば理科系の大学院における師弟関係を考えるといい。先生に教わる、とは先生の研究室で、先生の研究の手伝いをして、データを集めることである。こうして先生は安いマンパワーを得て、生徒は研究の仕方を学び、論文の執筆者の一人に加わる。これはお互いがお互いを利用しているのである。
およそ師弟関係の中でこの種の利用のし合いが生じないということなどはないのではないか?昔は先生の所に弟子入りするとは、そこで雑巾がけから始めることだった。それでもそこで得られるものがあるから偉い先生には多くの弟子が集まり、その中から優れた人材が輩出するのである。このような師弟関係は搾取的だろうか? おそらく。しかしその度合いには差があるであろう。
私はこのことをもう少し広く、あらゆる人間関係について考えたい。たとえば親密な関係はどうか?親密な関係、異性関係などで、そこに搾取的な要素が全くないということはおそらくないであろう。あらゆる関係において、一方が他方を利用するというところがある。たとえば異性関係などでは、片方が未成年であった場合には、それは社会的な視点からは絶対あってはならないことであり、それは未成年がそこにその関係性に入ることについて合理的な判断が出来ないからということになるだろう。そして両者の間に地位や力関係の差(power differential)があるならば、そこでも本当の意味での合意はあり得ないということになる。たとえば患者と治療者の間の恋愛関係はご法度であることは言うまでもない。しかしバイザーとバイジー関係はどうか。心理の先輩後輩関係はどうか?どんどん線引きが怪しくなっていく。あるケースでは、自分のバイザーの地位に相当する人が、分析協会に入ったら後輩になってしまった、というようなことも起きる。
ただし私は師弟関係において、弟子は搾取的な部分については我慢しなくてはならないと言っているのではない。搾取的なものの中で明らかに許容できないものがあり、それが力のabuse 濫用ということなのだ。これは無言の圧力、と言い換えてもいい。その場で相手に飲まれてしまい、正常な判断が出来ずに従ってしまうこと。多くの性的、身体的虐待がそのような形で生じる。それは正常な判断力の備わった大人の間ですら起きうる。
最近地下鉄サリン事件から20年がたったこともあり、オウム真理教のドキュメンタリーを見ることが多いが、たとえばグルが、地下鉄にサリンをまけ、というと、弟子は高学歴であるにもかかわらず、それに逆らうということが出来なくなる。
あるいは私の患者さんが、20代の後半で近所の男性から性的関係を強要された時、合意したということにしないと、どのような暴力を振るわれるかわからないので、合意の上で性的な交渉をしたことがトラウマになってしまう。これなどもそれ自体が搾取的な関係が、abuse に代わってしまうプロセスであろう。
ここで思い出すのが Ghent という人の理論。彼は
"surrender 降参" as a benign form of yielding and
"submission
 服従" as a malignant subjugation of self.
この区別は面白い。