2015年4月3日金曜日

恩師論(推敲後)2


恩師の教えは洗脳やパワハラと表裏一体である?


恩師論は、ここから一気に陰りを見せる、というか陰の部分の議論に移る。大げさだな。要するに最初から書いている、「恩師」と呼ばれる人だっていろいろ問題はあるよね、というテーマだが、この問題は私の頭の中では容易に「自己愛問題」につながる。あるいは人間関係の中に常に侵入する搾取の問題、と言い換えてもいい。
まずは先ほどの例。

背中押す「できるよ」の魔法岡村孝子さんシンガー・ソングライター(まーつーわ、いつまでもまーつーわ♪)
読売新聞 20130701 0900
人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。
新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。
学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。
先生が体調を崩して2~3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。
それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。(聞き手・保井

私はこのエピソードをネットで拾ったときは、いい話だと思っていたのである。しかしこれも先生の無茶ブリ、ということはないだろうか、という気がしてきてもおかしくない。もちろん筒井先生はいい先生だったのだろう。でも同時に誰かにピアノを引いてほしかった。彼の都合でもあったのである。こう考えるとやはり恩師との出会いは、「出会う側」ファクターがかなり影響している、ということになりはしないか?

メンターとの出会いは、現実という海の中にある。治療関係のような一種の「ぬるま湯」ではない。だから出会いは外傷ともなる。それとの関連で次の例。

 テレビでこんな話をやっていた。ある野球選手が、監督から、試合でのミスを何度も言われたという。「お前のアレであの試合は負けたんだ。」それをことあるごとに口にされたという。悔しい思いをしたその選手は、監督を恨んだが、そのうち毎朝ランニングをして体を鍛え、それを晴らそうとした。そして一年後に大きく成長し、試合で立派な結果を残すことが出来た。後にその監督は言ったという。「あいつは負けず嫌いだから、発奮すると思い、わざとああいうことを言い続けたのだ。」 それを聞いた選手は、その監督に対する深い感謝の念がわいたという。

 どうなんだろう、この話。まあ、ありえない話ではないけれど、現実という海の中でこれが起きると、この種の体験がトラウマになって、監督を恨み通す選手も当然出てくるだろう。この種の美談の裏に死屍累々としているのは、「いやな監督(先輩)にいびられ続けてすっかりやる気を失ってしまった」という体験談なのだろう。そう、パワハラ、モラハラの例なのだ。
私はこの話においては、監督は本当は単に意地悪だったのかもしれないと思っている。そしてこの選手により監督として「育てられた」のかもしれない。本当はわからないが。
とにかく私たちが陥りがちな過ちは、恩師は一人の尊敬すべき人間という考えである。たいていの人間はそうは行かない。なぜなら優れた点とショーもない点を持った生身の人間に過ぎないからだ。だからいろいろな人から出会いをもらい、それを自分で統合するしかない。人生のあの部分であの人から何かをもらった。それでいいのだ。

そもそも師匠・弟子関係は搾取的、あるいは自己愛的な部分をはらんでいる

人が他人に及ぼす影響ということを考えた時、そこにはある一般的な原則があるようだ。「人に影響力を及ぼす人は、同時に自己愛的で押しつけがましいことが多い。
もちろん一般論である。「ことが多い」に下線も引いてあるのは、一般化しないためだ。そう断ったうえで言えば、人の他人への影響力は、その人がどれだけ声が大きく、どれだけ自分の考えに確信を持ち、どれだけ他人にその考えを押し付けるかに多大に影響している。影響を与える人間は一般的に言えば、自己愛的な人間ということになる。この例外などほとんどであったことがない気がする。
もちろん素晴らしい理論を持ち、著作をあらわし、人間性にも優れているにもかかわらず、謙虚でつつましく、自己宣伝の全くない、そして自身のない人もいるだろう。自己愛的であることは、影響力を及ぼすための必要条件ではない。ただしその控えめな人がもう少し自信を持ち、もう少し自己表現の機会を持ったならば、さらに大きな影響力を及ぼす可能性がある。その意味で人が影響力を持つことと自己愛的であることにはかなり密接な関係があるのだ。そしてそれはとりもなおさず、弟子との間にパワハラが生じやすい可能性をも表している。ある人が恩師として慕われる一方では、一部の人たちにとってはパワハラを与える存在でもある、という可能性は、十分あるのだ。

この問題は、人間の関係性が持つ搾取的な側面として一般化してもいいであろう。関係に純粋に平等なものはあり得ず、互いが互いを利用するという側面はどうしても付きまとうものだ。

弟子の側のファクター

ところで監督のいびりの話で、発奮した選手がなんと言ってもえらいのではないか。そう、出会いを出会いと成立させる弟子の側のファクターがまた大きいのだ。
ある出会いから多くのものを学び吸収するような自分の側の能力が大切だということになる。これは極端に言えばそこに相手からのまごころやこちらを育てたいという親心がなかったとしても、あるいは押しつけがましい自己愛的な人間でも、不足している分をこちらが補うような形で成長の糧とすることができるだろうということだ。少し書き過ぎだろうか?もう少し言葉を継げば、おそらくここで重要な意味を持つのが、その人の持っているレジリエンスなのだ。レジリエンスが高いと、ある体験を学びの機会として利用することができるのだ。
ところでこのことはまたレジリエンスが低かったり、運に恵まれなかったりする人の場合に、自己愛的な人間との間でパワハラやモラハラを受けてしまう可能性をも表している。もし自分が指導を受けるような相手との間に、ある程度の良い出会いがあり、また頻繁にパワハラめいたやり取りがあったらどうなるのだろうか? そしてそれが自分にとっての上司であったり、学問上の師であったりしたらどうだろうか? その人との縁が切れないがために、少しの恩恵と絶大なトラウマを体験することになりはしないか? 臨床を行っていると、そのようなケースにもまた出会うことになる。私は「出会い」などと悠長なことを書いたが、「その人との出会いを大事にし、理想化することをあきらめましょう」という教訓を生かせない状況にある人たちもたくさんいるだろう。それはそのような先輩、上司、教師との関係から逃れることができず、そのような人との運命共同体にある人たちもたくさんいるということだ。かくして恩師の教えはパワハラと表裏一体となりうる、というこの項目の表題につながる。

ここで小出監督とキューちゃんの話

週刊文春に「阿川佐和子のこの人に会いたい」という企画があるが、その342回目(2000年)の記事をとってある。わりと理想的な師弟関係。「高橋は(タイムが)遅かったから、最初に『お前は今に世界一になるよ』と言ったら『えーっ!?』なんて意外な顔していた。ところがそれを毎日言いつけてみな。『ほんとかな』って首をかしげるようになるんですよ。そこでもっと『お前は強くなる!』っていうとね、『よし頑張ってみよう』という気持ちが目を出してくる。その芽を摘んじゃいけないんですよ。子供だって同じだよ。」と書いてあり、私が印をつけてある。
 ところがそれと一緒に保存してあるのが、「噂の真相」の記事。
「国民栄誉賞をもらったシドニーの英雄高橋尚子と小出義雄監督の●●関係」というもの。(200012月)これは師弟関係にいろいろ考えさせられた。という過去の題名をこうやって打っていると、この先に行くのが嫌になるな。醜聞に属する話だ。(●●は私が施した伏字である。)しかしこの恩師論の流れから行くと出てくるテーマ、すなわち師弟関係トバウンダリー(境界)の問題、ないしはパワハラの問題である。ということで記事を再度読み始める。ウーン・・・・・・・・・・・・・。やはりこれは問題だ。というより詳しくは書けないや。いろいろな人が傷つくだろう。ということで一般論。
どうやらアスリートとコーチや監督の関係には、「一心同体」ということがよくあるらしい。そうじゃないとコーチが務まらないというところまであり、だからコーチは一人しかできないという常識のようなものもあるそうだ。いっそに暮らし、一緒に風呂に入り、一緒に生活をする。問題のK監督はと言えば、そのような形で選手とズブズブの関係にあり、しかも過去には明白なセクハラもあったという。

世代形成性との関係
エリクソンの発達段階の第6段階に出てくる世代形成性generativity は、彼が定式化した人生の発達段階のうち第7段階の「成年期」における「世代形成性VS停滞」に出てくるタームだ。Generativityという英語は、古くは「生殖性」という訳が使われたが、最近では「次世代育成能力」とか「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわって行くこと」などの表現がなされている。私は故・小此木啓吾先生が用いていた「世代形成性」という訳語が好きだ。そしてその小此木先生も世代形成性をとてもよく発揮なさった方だった。(小此木先生と言っても若い人には通じにくくなっているのだろうか?彼は2003年に亡くなったが、現在の日本の精神分析を育てた大先生である。)
 小此木先生はとにかく若い世代の分析家の卵たちに、海外に出て勉強をすることを勧め、またその話をよく聞いてくれた。私もそうしてもらった一人であった。なんだ、それが言いたかったのか?
 ともかくも世代形成性を身をもって示した小此木先生は、常に若手をかわいがり、育てることを考えてくれていた。(と、少なくとも私の目には映った。)これについてはもちろん色々な人が異論を持つだろう。「小此木先生は若手の知識を吸い取り、結局は自分の引き出しに入れてしまう人だった」という話も少なからず聞いた。ただそれは少し違うと思う。先生は例えばA先生という若手が勉強したテーマについて興味を持って話を聞き、それを人に紹介するときにも、あくまでも「A君がこのような理論を勉強して伝えようとしている」という言い方をしてくれた。A君としては、偉大な小此木先生にそのような紹介のされ方をすることにとても満足するのが普通だ。ただA君はそれから何となく小此木スクールに属することを期待されるのである。小此木先生に頻繁に呼ばれ、時には彼のスーパービジョンを受けることを期待される。つまり小此木先生はA先生を手元に置きたがる。要するにさびしがり屋なところがあった。
 でもここで少し考えてみよう。弟子を育てることに熱心で、しかも弟子をそばに置くことに興味のない恩師なんているだろうか?それはいるかもしれないが、希少価値だろう。
故人について誤解を与えるようなことは書きたくないから、ここからは一般論だ。人が世代形成性を発揮するのは、おそらく人生の後半であろう。だからエリクソンの発達段階でも、最後から二番目の、つまり第7段階目の成年期の課題ということになる。若いころは自分が成長するのに忙しく、後輩のことなどかまっていられないからだ。そして自分自身に蓄積が出来、若手に対してライバル心や羨望にさいなまれることなく、その力をさらに引き出し、その成長を楽しむ事が出来る。もしそれが世代形成性だとすると、その人に余裕があり、自身があるということは必須なことのように思われる。自分に自信のない人間に次世代を形成する力はあまり期待できないであろうし、そのもとに集まる人も少ないということになるだろう。
 
自分が出会いの提供者になっていく
結局世代形成者(私の造語だ!)になることとは、自分が出会いの提供者となることなのである。恩師について語るとき、最終的には自分の中の潜在的な「恩師」について考えなくてはならない。でもこう言うと誤解が生じるな。この潜在的な恩師とは、自分の中に内在化された恩師、という意味ではなく、自分が「恩師となる」ための素地や萌芽という意味である。
私は基本的には恩師的な要素と父親的な要素を重ねる傾向にあるので、世代形成性は私たちが父親になる年代には始まっている、と考えている。しかし実は次の世代を育てるという姿勢や発想は、例えば長子であること、面倒を見るべき弟や妹を持つことを通して、実は幼少時から存在していておかしくない。それを意図的に、継続的に行うという機会がより多く人生の後半に訪れるということだけである。確かに学生時代に出会った先輩たちは同じ中、高生でも同時に父親的だった。でも同時にやんちゃで勝手で子供っぽかった。K先輩(上述)も例外ではなかった。
 仏教の言葉で、往相と還相(げんそう)というのがあるらしい。私もよく知らないが、ネットで調べると、往相とは「仏になろうと精進していく道」だという。そして修業を積んで仏になったら、今度は、還相となり、 まだ仏になれいない人に手をさしのべて、一緒に仏になりましょうと働きかけるという。これまでの文脈でいえば、恩師的な要素を持つ人も、人生の前半では自分のことにより専念していい。ところが自分の地位を築き、仏になった後は(←意味の通じない文章!)むしろ後輩のことを考え、そのために力を費やすということだ。つまり恩師としての活動を行い、またそれに満足を覚えなくてはならない。
しかし、還相にある人間は仏である必要はない。出会いを提供できればいい。理想化されるべき対象である必要はないのだ。愛他性の塊である必要はない。時々後輩を導けばよい。ことさらよき師であろうと思うと、人間は必ず自分の自己愛に負けて、あるいは自分の寂しさに負けて相手を取り込み、支配しようとする。そうではなく、良き出会いを提供できた先輩は、もうそれで満足してさっさと相手に別れを告げなくてはならない(あるいはそのような覚悟を持たなくてはならない)のである。
結論
結局これまで書いていることと変わりないことだ。このテーマは与えられたものなので、私から付け加えるべき新しい視点もない。実在する恩師をことさら求めないこと。「恩師との出会いのモーメント」を求めよ。そしてそこから「バーチャルな恩師像」を作り上げるのはもちろんいい。でもそれを現実の人間に期待してはならない。ほとんど必ずほころびを発見するであろうからだ。例えば私にとってA先生はその種の出会いを作ってくれた恩師である。でもA先生は恩師そのものではない。なぜならA先生にとっては「愛弟子」の一人としては決して数えられないことを知っている。彼にとっては私は「その他大勢」の一人でしかない。
もちろんその「恩師」が身近な存在になり、実際は「頼れる先達」くらいの関係を結べるようになれば、それはそれで大変結構なことかもしれない。実際にはそのようなケースもあるのだろう。しかし「恩師」から「先輩」ないしは対等の関係への変化には多くの場合戸惑いが生じたりする。それまで理想化の対象だった人間と日常的なレベルで出会うことは、実はあまりうれしいことではなかったりする。
 精神分析では、トレーニングの時代の自分の分析家がそのうちバイザーになり、分析協会におけるインストラクターとして先輩後輩関係や同僚になったりするということは時々起きる。もちろん理想的なことではないかもしれないが、通常は分析協会自体のサイズが限られているためにいたし方のないことである。その場合も、特に非分析者の側が、関係性の変化に大きな戸惑いを体験することがある。カウチの後ろで姿が見えず、理想化の対象となっていた人と、学会に向かう飛行機で隣の席になると、やりにくいだろう。