2015年4月10日金曜日

精神分析と解離(4)

「防衛神経精神病」(1894SE3 P46 を読んでみる。
 私は結局、恐怖症と強迫神経症と、ヒステリーは同じようなことが起きている、と言いたいのだ。ジャネやブロイアーの仕事によれば、ヒステリーとは一種の意識のスプリッティングsplitting of CS が起きているとみていいだろう。問題は、このスプリッティングがどのように起きるか、ということだ。ジャネによれば、結局これらの患者は精神統合の力の不足innate weakness of the capacity for psychical synthesis であるという。そしてそれが患者さんにとってはプライマリー、すなわち生まれつき、というのだ。ところがジャネと違い、ブロイアーは私との共同研究で、類催眠状態、ということを言い出した。その考えによると意識のスプリッティングは二次的なものという。つまりそこで浮かんできた考えが意識から切り離されるからだというのだ。ここで私はそれ以外の二つの状態を提案したい。それは、意識のスプリッティングが、患者の意図的な行動 act of will の結果として生じた場合である。つまりそれが意志の努力effort of will により起こされるのだ。だからと言ってもちろん、患者が意識のスプリッティングを起こさせようとしたというのではない。別の目的を持っていたが、それが起きず、その代わりに意識のスプリッティングが起きてしまったというわけである。
そして三番目だ。そこでは意識のスプリッティングはほとんど起きない。そこではトラウマ的な刺激への反応は起きなかったのだ。そしてそれは徐反応により解決した。つまりこれは純粋な貯留ヒステリーということになる。

あとはフロイトの考えはわかりやすい。女性の場合、性的な考えが押しやられるpushing the thing away ことにより、意識のスプリッティングが起きるのである。


おそらくこれ以上フロイトの著作を読んでも、フロイトの考えをより深く理解することは出来ないのであろう。解離は意図的に行われている。類催眠は結果である、というわけだ。そしてこのフロイトの考えを読む限り、同様の解離の理解の相違は、そっくりそのまま現代にも受け継がれているとは言えないだろうか?