2015年3月10日火曜日

解釈(8)

朝日の英語版にはこの記事の見出しが。

Merkel says reflecting on past a precondition for reconciliation

でも日本語版の見出しには出てこない。メルケルさんは正論を言っているだけだろうが、日本の「歴史の反省」が、ことごとく偏向した歴史を教育している諸外国に政治利用されるだけだとしたら? 彼女がドイツの体験からこれを言っているとしても、ドイツがたとえばフランスとの間におかれた関係と、今の日本の近隣諸国との関係は比較になるだろうか? 

<解釈>
共同注視の延長としての解釈

解釈的な技法は治療者と患者の共同の営みと考えることが出来るだろう。それはちょうど共同注視のようなものだ。患者が自分の人生について、心模様について語る。それは二人の前に広がる架空のスクリーンに映し出されるが、二人が同じものを見ているとは限らない。治療者にはそれが虫食い状の、あるいはモザイク加工や暗点を伴ったものとして見える可能性がある。ただし患者の方にはその治療者の方からは見えにくい部分がよくわからない。治療者は少なくとも心の中では、その暗点の部分を把握し、自覚する必要がある。ただしそれは自分自身の視野のぼやけや狭小化や、それ自身の持つ暗点である可能性も含めてである。そしてそれがどのように見えるかを伝えていくことになる。これはかつて私が著書で「共同の現実」として論じた内容とも深くかかわってくる。それが共同で形成されてお互いに見えやすくなった場合に、それは治療者にとっても患者にとっても一つの達成であり、進歩となるであろう。