15年前に書いて途中で断念した英語の論文を引っ張り出している。これにも事情があるのだ。自分が書いたものだからさすがにわかりやすいだろうと思いながら少し読んでいく。「現実」についての論文だ。こだわっているテーマである。私は「現実オタク」であると思う。まとめではこんなことを書いている。「『共同の現実conjoint reality 』を作り上げることが精神分析の目的である。」なんだ、あの話か。去年の精神分析学会で話したことであり、2002年に「中立性と現実」(岩崎学術出版社)でまとめた内容だ。よく英語で書いたな。どこかに投稿するつもりだったのだ。あのころはかなりエネルギーがあったわけだ。
現実の主観的・客観的な性質
ちなみにこの文脈ではこの本 → The Creation of Reality in
Psychoanalysis: A View of the Contributions of Donald Spence, Roy Schafer,
Robert Stolorow, Irwin Z. Hoffman, and Beyond Routledge, 2013 は重要だ。実際は1999年あたりに出ていたはずだけど。まあ14年たっても、さすがにこの話題は簡単には「古く」はならないだろう。
最初に結論めいたことを示している。精神分析とは分析家と患者が、「共同の現実」を扱うことだ。ここで「共同の現実」とは、「分析家と患者がその中で体験したこととして、その違いを含めて了解したもの」である。
客観的な現実というテーマは精神分析では大きな話題となっている。フロイトの時代のように、患者の無意識を科学的に見出し解釈するという実証主義的posisitist な考え方に従う臨床家は少数であろう。Renikが言うような、治療者の「還元不能な主観性irreducible subjectivity」というものが考えられるからだ。客観的に把握できるものなどないというのが、おそらく多くの間主観性論者や構成主義者の考えであろう。