2015年3月9日月曜日

解釈(7)


<解釈>
・・・フロイトも言った「内容解釈の前に防衛解釈を」という方便も、結局は似たような路線を示す。「なぜかイライラする、と先ほどおっしゃいましたが、その理由はご自分でもある程度お分かりになる部分はないのでしょうか?なぜならかつてあなたはお父さんに対する不満を口になさったことがあったからです。そのことは覚えていらっしゃるでしょう。ということは自分のイライラの理由について考えること自体に気が進まない感じがするのではないでしょうか?)」これも一種の直面化と言えるだろう。
結局広義の、あるいは臨床的に役立つ解釈とは?
ここで私の考えを端的に述べたい。解釈が精神分析以外の精神療法についても役立つためには、以下のような考えを導入することだと思う。それは、解釈とは一種の「暗点化scotomizationへの言及」として一般的に扱うべきであろうということだ。すなわち患者が陥っているように思われる一種の暗点化について治療者が質問をしたり明確化する試みである。(フロイトは暗点化について論文を書いているらしいが、ここではそれとは関係のない議論とする。“Repression and scotomizationin 1926 in the Internationale Zeitschrift für Psychoanalyse.
人はある思考や行動を行う時、おそらくいくつかの視点や事実を無視する傾向にある。それは単なる失念かもしれないし、もう少し別の「力動的」な理由があるのかもしれない。他方治療者はそれを聞いていて、患者の思考に伴走し、そこでその盲点化されたものに気が付く。それを指摘するのが解釈である。ただしもちろん盲点化されていることに意味があるのかは不明であるし、治療者の側の勘違いや思考の癖のようなものが影響しているかもしれない。あるいは治療者の側の人生経験から出てくるものかもしれない。また盲点化されているものには多分に仮説的なものも含まれている可能性がある。先ほどの例で言えば、「あれ?お父さんに対する恨みのようなものを語っていたのに、なぜかイライラする、という言い方をしているな?どうしてだろう?(あたかもその恨みの事実を忘れたかのような話しぶりだな」という治療者の思考、およびその実際の言及は、特に患者の無意識内容に関するものではない。その意味では本来の意味での解釈ですらないかもしれない。それに比べて(このケースが特に父親への恨みについて述べたことがかつてないと仮定したうえで)「患者はお父さんに対して意識化されていない深い恨みがあるのではないだろうか?」と考え、あるいは言及することは無意識内容への本来の解釈ということになる。
 私がこのような「暗点化への言及」を考える時、そこにはそれ自体のgenetic な解釈としての意味合いを保留するということが重要なのだ。それはそもそも患者の無意識内容は究極的には知りえないもの(「関係精神分析」における究極のテーゼと言える)であり、また治療者の側の思考にも独特の暗点化が存在し、また独特のidiosyncrasy〔個人や集団の思考や行動様式の〕特異性があり、簡単に言えば、分析家の感受性や暗点化への気付きなど、あまり宛てにならないからだ。ただし分析家はまた「岡目八目」の立場にもある。その分人の思考の穴は見えやすい位置にあるというのもまぎれもない事実なのだ。そしてその実患者はそれを指摘されるような治療者の存在を必要としている部分があるのである。