2015年3月12日木曜日

15年前に「現実」について書いたもの(2)

しかしより相対主義的な考え方もあり、著者(私)はむしろそちらに与する、という。(へえ?知らなかった。)その立場は、自分たちの外に「何か」、ある種の刺激を与えてくるような源はあるのだ、という。それは認める立場がこの相対主義だ。そこでさっそく読み進めると、この頃私はBroucek Ricciと言った分析家たちの影響を受けていた。二人ともメニンガーで直接教わった先生である。彼らに言わせれば、「客観性とは、自分の外に何かがあると確信できることである。それを治療者と患者が共同でconjointly 体験する」という。分析家と治療者の一組は、それを二人だけの世界の外側に感じるというのだ。彼らがconjointly という言葉を使ってくれているので助かる!!現実とは架空のものであり、客観的objectiveなものではない、という見方はポストモダンの考え方としては常識に属すると思っていたが、10年以上の私は少し異なる考え方をしていたというわけである。
 ここで私に大きな影響を与えた人としてGabbard先生もいたのだ。彼などは、患者にとって治療者はいわば対象である。だから「対象的objective」ともいえるという。そうか、英語で言うobjective には、「客観的」、という以外に「対象的」という意味もある。そしてもちろん「目的語的」もアリだ。Objectは「目的語」だからだ。(同じように、subjectiveは、「主観的」、「主体的」、「主語的」となる。)ちなみに「対象的」を辞書で調べても、「対象(目的)の形容詞」という以外には何も出てこないだろう。用いられるとしても大概は「対照的」の誤用、誤記だからだ。それはともかく。
15年前に書いたにしては、結構いいぞ。