2015年3月13日金曜日

15年前に「現実」について書いたもの(3)

とにかくフロイトはとてもとてもpositivistic な人だった。どうしてなんだろう。19世紀終わりのヘルムホルツ学派の考えは、私たちとそれほど違っていたのだろうか?それともそれほど大げさな話ではなく、心を理解するうえで人が素朴に考えていたことなのだろうか?精神科医になって病棟で任された最初の患者さんのことを思い出す。急に具合が悪くなり、口を利かなくなり、食事もしない状態で、家族に連れられてきた30歳代の男性。何しろ最初は担当する患者さんは一人だったから、いくらでも時間があった。彼のお兄さんによると、どうやら数日前に付き合っていた彼女からの電話を受けたあたりから調子が悪くなり、おとといあたりからまったく口を利かず、ごはんも食べず、夜も眠れていない様子。目はうつろで体全体がぶるぶる震えている。時々出てくる言葉が意味がつかめない。「誰かに追いかけられている」という内容らしいが、それがだれかは教えてくれない。いまから思えば明らかな精神病性の「昏迷状態」。私は何を考えたかと言えば、その彼女からいわれた何かが決め手だろうということだった。あるいは誰に追いかけられているのかを知ることが彼の心の中に入っていける決め手だと思った。そこでとにかく彼を説得して、話をしてもらおうとした。いまから思えばなんと大きな勘違いをしていたのだろう?それから精神科の仕事を続ける中で、私のこのような試みがほとんどと言っていいほどに意味を持たないことを知った。その男性に必要なこと。それは必要な処方をしたうえでとにかくぐっすりと寝てもらうことだった。
これが結局はpositivistic な思考だと思う。客観的な事実がそこに存在する、云々という哲学的な議論というよりは、心が何か因果論的に説明できるという単純な思い込み。私は精神科医になる前はしっかり19世紀の末の思考をしていたし、精神医学を知らなかったら、おそらくそのままだった可能性がある。