2015年3月3日火曜日

解釈(1)、治療者の心性(1)


「大人の事情」が二つ舞い込んだ。結局書くことにする…。全然違うテーマなのに、並行して書いていくと似てくるというのが問題だ。
<解釈>
技法の概要、技法の解説、具体例とその解説、技法の習得に向けて、読書案内という風に書くのか。うーん、自信ないなあ。解釈ということをあまり信用していないからね。そもそも解釈とは何か。無意識内容を患者に示すこと。
技法の概要
解釈とは、「分析家が行う解釈とは,分析的手続きにより,被分析者がそれ以前には意識していなかった心の内容や在り方について了解し,それを意識させるために行う言語的な理解の提示あるいは説明である。つまり,以前はそれ以上の意味がないと被分析者に恩われていた言動に,無意識の重要な意味を発見し,意識してもらおうとする,もっぱら分析家の側からなされる発言である。」(北山修、精神分析辞典)。ただし解釈をどの程度広く取るかについては種々の立場があり、中には分析家の発言をすべて解釈とする立場すらある。
筆者が思うに、解釈の概念は二つの役割を果たした。それは一つには無意識内容を示すことの重要さを示すことであり、もう一つは解釈以外のもの、すなわちフロイトが示唆として様々な要素を退けたことにある。英語的に言えば、interpretation at the expense of suggestion ということだ。そしてその示唆に含まれるものとしては、人間としての治療者が患者に対して与える種々の影響ということになる。解釈は精神分析的な精神療法において非常に大きな意味を持つが、それが示唆を排除したうえでのそれであるとした場合は分析的な解釈はその効果を半減させてしまうであろう。現代的な精神療法の考え方では、解釈は示唆的な意味との微妙な関係性の中で初めて意味を持つのである。 
<治療者の心性>
関係精神分析は現代の米国における精神分析の一つの大きな潮流となっている。そこではAron, Bromberg, Hoffman, Stern, Benjamin といった論客が名をつられる。そこに共通している理念は患者を病理をになった対象として観察し、扱うといった一者心理学的なモデルを排し、ともに関わり、治療場面を構成していく二者モデル的な視点に立ったものと言える。ただしそこには患者とのかかわりに留まらない、ある種の世界観が共有されているといっていい。それは世界が基本的には不可知的で、患者の言動の力動的な背景も、治療的なかかわりの患者への影響も、予想しえないという見方である。Hoffman は精神分析的な真理は、フロイトが考えたような心理ではなく、「私たちはみないずれ死ぬ運命にある、ということ以外の現実は常にあいまいで非決定論的である」Hoffman, IZ (2001) Sixteen Principles of Dialectic Constructivism.(unpublished Paper originally presented at the AmericanPsychoanalytic Assoiciation, 2001).
関係精神分析家の心性と言えば、公平で柔軟な世界観、と言いたい。治療理念がそもそもそれを目指しているからだ。関係精神分析の要諦がさまざまな二分法の間の弁証法であるならばHoffman, Aron, etcJeremy D. Safran, PhD: INTERVIEW WITH LEWIS ARON Psychoanalytic Psychology. 2009, Vol. 26, No. 2, 99–116