2015年2月9日月曜日

「ゆるい序章」に追加した

 精神分析における解離の議論は実はかなり歴史がある。最近の流れの中での解離の議論は1990年代から生じてきたようである。しかしその由来は非常に古い。フロイトは解離よりは抑圧、という姿勢を保っていたが、フェアバーンはそうではなかった。彼のスキゾイドの理論はそのまま解離の議論に読み替えることも可能である。彼は解離を、ふつうは意識にありながら、意識の本体からは分裂して、高度の独立性を保った精神生活の要素を認め、それは正常心理でも起きうるものとしたのである。フェアバーンはフロイトとは違い、解離を抑圧より上位のものとしたうえで次のような定式化を行った。すなわち抑圧とはその脅威が内的なものであるのに対し、解離ではそれが外的なもの、という理解の仕方である(オレンジ、その他、1999オレンジ、アトウッド、ストロロー:間主観的な治療の進め方 ―サイコセラピーとコンテクスト理論― 丸田俊彦、丸田郁子訳 岩崎学術出版社、1999年。この議論が最近により再燃した経緯は第23章に詳しい。