2015年2月8日日曜日

脳科学と精神分析(推敲)(2)

2.ハードウェアとしての脳を知ることで無意識の在り方はどのように変わるか?

「脳科学と心の臨床」(岩崎学術出版社、2006)の冒頭部分で、私は「ハードウェアの摂理」という概念を提出した。つまり脳は生理学的な組織というハードウェアで出来ており、その細部がそれぞれ重要さを持っているということだ。そのどの一部が欠けても、脳はその機能を保つ事が出来なくなる可能性がある。そのような制約なしに心は成り立たないというある種の運命を、私たちは受け入れなくてはならない、というのが、この「摂理」の意味である。
 これは、例えば心を霊魂のようなもの、形のないものと考える傾向とはまったく逆ということになる。人が霊魂やヒトダマやエクトプラズムの内部にハードウェアとしての微細な構造を考えるだろうか?「ヒトダマを解剖したらどのような仕組みになっているのだろうか」というような発想を私たちはそもそも持たないのだ。私たちが想像により生み出すものはたいてい均質で、細かい内部構造はない。その際は「ハードウェアの摂理」は想定されないのだ。
岡野憲一郎 脳科学と心の臨床 岩崎学術出版社、2006

ここで私たちが現在持っているハードウェアとしての脳についての知識を総括してみる。そこから精神分析とのつながりも見えてくるであろう。私たちは脳の大まかな構造をすでに知っている。それは大脳皮質と皮質下の様々な領域、つまり大脳辺縁系といわれる部分、大脳基底核、脳幹、小脳、脊髄である。これらの活動を知ることにより、私たちは無意識についての考え方を大きく変える必要に迫られることになる。私は特に以下の3点に注目したい。
① 無意識における扁桃核の働き ② 無意識における報酬系の働き ③ 意識と自律性

       無意識における扁桃核の働き
脳の第一の機能は、情報を統合して全体的に判断し、目の前に示された選択肢についてイエスかノーかを決めるということである。生命体は目の前の事態に対して、しばしば二つの正反対の選択肢のうちの一方を選ぶことを余儀なくされる。戦うか逃避するか、飲み込むか唾棄するのか、つがうか拒絶するか、といった選択であり、その結果が自己の存亡に直結する場合が少なくない。そしてその正確かつ適応的な判断および遂行を可能にしているのが、脳の情報処理システムである。
 フロイトは無意識を様々な欲動のうごめく所と理解したが、情報処理のシステムとしてみた脳にとっての無意識は、膨大なバックグラウンド処理やそれにもとづく心身の自動制御といった、きわめて地道な役目を果たしていることになる。それを主としてつかさどるのが大脳皮質、視床、扁桃核、大脳基底核などの部位である。
脳における情報処理の第一のプロセスは、知覚情報の感覚器官を通しての入力である。その情報は大脳皮質の一次感覚野という部分で処理され、それが視床に集められたのちに高次の皮質のレベルに上げられ、最終的にそれが扁桃核に送られることで、「イエスかノーか」の判断が下される。その視床から扁桃核に至る経路には二つあることが知られている。一つは「速い経路 low road」と呼ばれるもので、大脳皮質を介さずに扁桃核に直接連結している。もう一つの「遅い経路high road」は前頭葉を遠回りした後に扁桃核に行きつく。
 この二つの経路の働きの違いは以下のようなものである。前者は現実のおおざっぱな評価のためであり、後者はより詳細な評価のためだ。たとえばクモのおもちゃをいきなり投げつけられたとする。さっそく「早い経路」が働き、飛んでくる「黒く何本かの足のある物体」は視床レベルで「クモだ!」と認識されて扁桃核に伝わると、闘争・逃避反応が発動する。これは皮質を介さないために当然無意識的なプロセスだ。そして一瞬遅れて「遅い経路」を経て前頭葉で「ゴムで出来た本物そっくりのおもちゃのクモだ」と認識され、その情報が扁桃核に伝わることで発動を始めていた闘争・逃避反応にストップがかかるのである。 LeDoux, Joseph (1996). The Emotional Brain: The Mysterious Underpinnings of Emotional Life. New York: Simon & Schuster.
以上の扁桃核の働きの解明に貢献したのが神経学者ジョゼフ・ルドゥである。そしてこのルドゥの二つの「経路」の図式は、私たちの行動が無意識レベルでのさまざまな刺激に左右されている可能性を示している。「速い経路」に示される視床から扁桃核への入力は、意識レベルでの判断を待つことなく私たちに行動を起こさせているのだ。そしてこの「早い経路」を伝わる情報としては、様々な恐怖の対象であるばかりでなく、過去のトラウマ記憶やそれを呼び起こすようなあらゆる感覚情報である可能性がある。おそらく私たちの行動はそれらの様々影響下にありつつ、しかも意識レベルで十分にそれを把握できない可能性がある。そして私たちが自分の行動を説明するとき、実はそれは明確な理由がわからずに行動の後追いして、理由付けをしている可能性は、分断脳の実験(本稿では説明を省略するが)が伝えるところのものなのである。

②無意識における報酬系の働き 
この②については、歴史的には1954年、オールズとミルナーによる快感中枢の発見が大きな意味を持っていた。フロイトがあと十数年長く生きていたら、この発見のニュースを聞いて非常に驚くとともに歓迎したであろう。それはある意味でこの発見がフロイトの「快感原則」に生物学的な根拠を与える形になったからである。
 快感中枢は報酬系とも呼ばれ、刺激をすると快感を覚えるような脳の部位を指す。それは中脳被蓋野VTAから側坐核に至るドーパミン経路(MFBA-10神経などとも呼ばれる)である。当時のオールズらのネズミを使った実験は、最初からそのような部位があることが想定されてはいなかった。たまたまその部位に電極の針が刺ささると、ネズミはそれこそ寝食を忘れて電極を刺激するためにレバーを押し続けたのである。このような部位の存在は当時の心理学では想定されていなかったのだ。
 こうして動物は、そして人間は最終的にこの快感中枢が興奮するような思考、行動をするべく定められているという理解が得られた。それまでの心理学では、人はもっぱら不快の回避という動機づけを有していると信じられたが、そうではないこと、文字通り人間がフロイトの「快感原則」に従うような装置を持っていたことが彼らの発見で明らかになったのである。
 ただしこの快感中枢の発見は、あるい意味ではフロイトの図式を否定することにもなった。人にとっての快楽は、リビドーの解放ではなく、A-10 と呼ばれるのドーパミンニューロンの刺激に過ぎないということになった。これにより人間の動機づけ、動因に関する研究は、フロイトのリビドー論を離れて一気に広範囲にわたるものを考えることになる。

     意識と自律性
脳科学の進歩は、私たちの意識的、無意識的活動についての基本的な考え方を変えつつある。私たちは、自分たちの意識は自発的な決定を下すことができる、という考えを持つ傾向にある。ところがこの半ば自明と思われる考えについても、その信憑性が問われる発見がいくつかあった。その一つがベンジャミン・リベットの実験である(Libet,2005 Benjamin Libet, B (2005) Mind Time: The Temporal Factor in Consciousness (Perspectives in Cognitive Neuroscience)  Harvard University Press ベンジャミン・リベット (), 下條 信輔 (翻訳) マインド・タイム 脳と意識の時間   岩波書店 2005

リベットの実験をごく簡単に紹介しよう。彼は被検者に適当なときに指を動かしてもらい、そう決断した瞬間を特殊な装置を用いて記録した。すると決断した瞬間の約0.5秒前に、すでに脳波の動きが見られることを発見したのである。この場合当人はあくまでも主体的に自分自身が指を動かす瞬間を決めたという体験が伴っていたのである。
 この実験は、私たちが意図的、自律的に行動していると思っている部分の非常に多くが、いわば無意識においてサイコロが振られる結果であるという可能性を示すことになった。また私たちが自分たちの発言や行動の根拠を探り、理由づけをすることの意味が、フロイトの時代に比べてはるかに少なくならざるを得ないことを示している。私たちの発想、決断、行動のかなりの部分が無意識から降ってくる以上、それを理性的に分析することには実は大きな無理が伴うのである。
 これまで述べたことから、現代的な脳科学に照らした際の無意識は、それ自体が従来のそれに比べて大きく様変わりをしていることがわかるだろう。無意識は意思決定されるべき案件の候補を意識野に絶えず送り込んでくる。そのかなりの部分がすでに行動に移され(エナクトされ)てしまう。意識はそれを事後的に理由づけをしたり、その直前に押しとどめたりすることくらいしかできない。(リベットが言っていることだが、意識の仕事は「却下する」ことくらいしかできないのだ。)
現代の関係精神分析の論者フィリップ・ブロンバークやダネル・スターンらによるエナクトメントの研究は、このような現代的な心の理解に即したものということが出来るだろう。