2015年2月6日金曜日

恩師論 (15)


結論

結局これまで書いていることと変わりないことだ。このテーマは与えられたものなので、私から付け加えるべき新しい視点もない。実在する恩師をことさら求めないこと。「恩師との出会いのモーメント」を求めよ。そしてそこから「バーチャルな恩師像」を作り上げるのはもちろんいい。でもそれを現実の人間に期待してはならない。ほとんど必ずほころびを発見するであろうからだ。例えば私にとってA先生はその種の出会いを作ってくれた恩師である。でもA先生は恩師そのものではない。なぜならA先生にとっては「愛弟子」の一人としては決して数えられないことを知っている。彼にとっては私は「その他大勢」の一人でしかない。

もちろんその「恩師」が身近な存在になり、実際は「頼れる先達」くらいの関係を結べるようになれば、それはそれで大変結構なことかもしれない。実際にはそのようなケースもあるのだろう。しかし「恩師」から「先輩」ないしは対等の関係への変化には多くの場合戸惑いが生じたりする。それまで理想化の対象だった人間と日常的なレベルで出会うことは、実はあまりうれしいことではなかったりする。
 精神分析では、トレーニングの時代の自分の分析家がそのうちバイザーになり、分析協会におけるインストラクターとして先輩後輩関係や同僚になったりするということは時々起きる。もちろん理想的なことではないかもしれないが、通常は分析協会自体のサイズが限られているためにいたし方のないことである。その場合も、特に非分析者の側が、関係性の変化に大きな戸惑いを体験することがある。カウチの後ろで姿が見えず、理想化の対象となっていた人と、学会の会場までのタクシーに相乗りするといった機会は、ツライ。