2015年2月4日水曜日

恩師論 (13)

世代形成性との関係
エリクソンの発達段階の第6段階に出てくる世代形成性generativity は、彼が定式化した人生の発達段階のうち第7段階の「成年期」における「世代形成性VS停滞」に出てくるタームだ。Generativityという英語は、古くは「生殖性」という訳が使われたが、最近では「次世代育成能力」とか「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわって行くこと」などの表現がなされている。私は故・小此木啓吾先生が用いていた「世代形成性」という訳語が好きだ。そしてその小此木先生も世代形成性をとてもよく発揮なさった方だった。(小此木先生と言っても若い人には通じにくくなっているのだろうか?彼は2003年に亡くなったが、現在の日本の精神分析を育てた大先生である。)
 小此木先生はとにかく若い世代の分析家の卵たちに、海外に出て勉強をすることを勧め、またその話をよく聞いてくれた。私もその一人であった。なんだ、それが言いたかったのか?
 ともかくも世代形成性を身をもって示した小此木先生は、常に若手をかわいがり、育てることを考えてくれていた。(と、少なくとも私の目には映った。)これについてはもちろん色々な人が異論を持つだろう。「小此木先生は若手の知識を吸い取り、結局は自分の引き出しに入れてしまう人だった」という話も少なからず聞いた。ただそれは少し違うと思う。先生は例えばA先生という若手が勉強したテーマについて興味を持って話を聞き、それを人に紹介するときにも、あくまでも「A君がこのような理論を勉強して伝えようとしている」という言い方をしてくれた。A君としては、偉大な小此木先生にそのような紹介のされ方をすることにとても満足するのが普通だ。ただA君はそれから何となく小此木スクールに属することを期待されるのである。小此木先生に頻繁に呼ばれ、時には彼のスーパービジョンを受けることを期待される。つまり小此木先生はA先生を手元に置きたがる。要するにさびしがり屋なところがあった。

故人について誤解を与えるようなことは書きたくないから、ここからは一般論だ。人が世代形成性を発揮するのは、おそらく人生の後半であろう。だからエリクソンの発達段階でも、最後から二番目の第7段階の成年期の課題ということになる。若いころは自分が成長するのに忙しく、後輩のことなどかまっていられないからだ。そして自分自身に蓄積が出来、若手に対してライバル心や羨望にさいなまれることなく、その力をさらに引き出し、その成長を楽しむ事が出来る。それが世代形成性だとすると、その人に余裕があり、自身があるということは必須なことのように思われる。自分に自信のない人間に次世代を形成する力はあまり期待できないであろうし、そのもとに集まる人も少ないということになるだろう。