2015年1月15日木曜日

ユルイ(5)

プリズムというストーリー
まあいろいろ反論はあるのだが、とりあえずプリズムの本文を読みだしてみた。間もなく私は一つの疑問を抱き始めた。百田氏自身は「症候群」なのか、それともそれを論駁するつもりなのか? それともどちらでもいいから、ストーリーをともかく紡ぎたいのか?もし彼が「多重人格」の本当の姿を知らしめたいのであれば、どうしてこの「解説」に我慢できるのであろうか?
ざっとストーリーの展開を紹介する。主人公梅田聡子は既婚女性、主婦業の傍ら家庭教師を始める。成城の豪邸で広い庭のあるうちに住む小学生を担当することになる。この庭の存在が物語の展開にとって非常に重要である。主人公は休憩時間に庭に出て、ある男性と知り合う。その男性はその豪邸の離れに住む、そこのご主人の弟という設定である。次々と異なる姿を見せるその男性は、どうやらいくつかの人格を備えた人らしいということになるが、聡子はそのうちの一人の人格に興味を抱く。その男性も彼女に恋心を持つ。そして二人の関係は進展していく。聡子はその男性に同伴してセラピストに会いに行き、そのセラピストに、治療への協力を請われる。そのプロセスで百田氏はDIDあるいは解離性障害一般に懐疑的な人間として、主人公の配偶者である、博学のジャーナリストを登場させ、その口から現在の解離性障害を取り巻く様々な問題を語らせるのだ。そのあとストーリーは様々に展開して…(省略しすぎか?) まさかと思ったが本当に恋愛ものになり、すべてがしかるべき方向に展開する。主人公は男性の一人の人格卓也と本格的な恋愛関係に陥るが、その卓也は主人格である宏志に統合される運命にあり、その恋愛は悲しい結末を迎える。

もちろん小説であり、不自然な点は満載であるが、百田氏がDIDを真摯に理解し、患者が持つ様々な迷いや苦悩をそこに織り込もうとしていることがわかる。統合の過程はあたかも人格を実体的に扱い、一つの人格が別のそれに吸収されて融合するプロセスが「絵に描いたよう」に描かれているきらいはある。