2014年12月2日火曜日

発達障害と心理療法 (最終)


忘れてはならない但し書き

私のこれませの記述にかなり否定的なトーンがあるに違いない。しかしここで一言述べておきたいことがある。
先日テレビで「自閉症の僕が跳びはねる理由の作者である東田直樹氏の登場する番組を見た。そこには自分のために両親が困ることが一番気がかりであるという彼の他者配慮ややさしさが描かれている。 彼のような例は、自閉症スペクトラム障害としてひと括りにして彼らを理解することの難しさを改めて教えてくれる。一方では言語能力や知的能力が非常に高く、人の心を理解することに難しさを有する人たちがいて、他方には知的に優れていても言語能力が制限され、かつ人への配慮が強い(強すぎる?)人々もいる。それらを発達障害として特徴抽出することはあまりに乱暴であり、理にかなっていない。

もし発達障害を、杉山登志郎先生の言うように「発達凸凹(でこぼこ)」(個人的には「発達凹凸(おうとつ)」の方がいいと私は思うが)であるならば、どのような能力が凸で何が凹科の組み合わせは非常にたくさんあることになる。私が臨床で出会い深呼吸が必要なのは、それらの人の一部ということになる。
 そしてもうひとつ重要なことを忘れてはならない。人の心が理解できないという人々は、そのことで実は社会から大変な誤解を受ける傾向にある。「わざと人をいらだたせているのではないか?」「わざと敬遠されたがっているのではないか?」という類の誤解だ。これは大変な間違いであるに違いない。その意味で彼らはしばしば傷ついているという事実をまず理解しなくてはならないと思う。
  (おしまい)