2014年12月25日木曜日

最新の解離(15)

人格部分との治療的な触は、それ自体が「ミスマッチ」となりうる

このテーマとの関連で、最後に解離とTRPに関して、まとめておきたい。ひとことで言えば、人格部分との接触は、それをいたずらに敬遠することなく、それが生じる時はTRPとしての意味を持つ形で扱うべきである、ということである。私が出会った人格部分たちの多くは、さまざまなトラウマ記憶や不満を抱えている。自分が一個人格として認めてもらえない、異なった性の体に閉じ込められている、自分の人生を歩めない等の不満や不幸を抱えている。そしてそれらの体験を訴えることを目的として出現することも多い。
 それではなぜ人格の交代が生じるのか? 本当のところはわからないが、それは今まで果たせていない自己表現の機会を求めてのものと考えるのが一番近いように思う。人格部分ごとに、自分を表現したい、わかってもらいたいという願望を持つのだろう。というよりは、そのような願望を持つ人格部分が出現する傾向にある、と考えるべきかもしれない。時には人格部分への移行が、あたかもカタルシス効果を求めているかのような生じ方をすることもある。職場での勤務を続けていると、そこでのフラストレーションの度合いに応じて、子ども人格の出現を抑えがたくなるという体験をよく聞くが、これは内側からの衝動として感じるのであろう。ただし子ども人格の出現とともに主人格は意識を失うということであれば、彼(女)は正確にはカタルシス体験を持たないことになる。
 ともあれそのような形で出現した人格を治療者が敬意をもって接することは、それそのものが「ミスマッチ」としての体験を生む可能性がある。なぜならそれまでは人格部分は出現してもそうと認められず、自己表現をする場を常に排除され続けてきた可能性があるからだ。自分は自己主張を許されない、あるいはたとえしても認められない存在、という体験を持ち続けることの多かった人格部分は、「存在を認められる」という新しい体験を持つことになる。そしてそれまでその人格部分に相当する神経ネットワークがほかの部分と遮断されていたという状況が変わるのであろう。それがこれまでに見た「再固定化」に相当する現象と考えられるのではないか?

TRPは解離性遁走には当てはまらない?

 ところでこの「人格部分には主張がある」という仮説は、解離性遁走に関しては、あまり当てはまらない可能性がある。遁走中の人格はしばしば人格的には白紙のような存在で、必要最小限の意識レベルで行動しているかのようであり、そうすることで何を主張したいのかは不明なのである。
 10139月には、千葉県茂原の高3女子が二月間行方不明になった事件が報道されたが、御本人に会わない以上何とも言えないが、報道の内容から判断する限りでは、やはり朦朧として最小限の判断力で徘徊していた可能性がある。一種のトランス状態と考えてもいいのではないか。ちょうど意識状態としては半覚せいに近い状態と考えることが出来る。

 ここで一言トランス状態についての説明を加えたい。2013年に発表された米国のDSM-5には「他の特定される解離性障害」の下位項目として「解離性トランス」が設けられている。これについては「この状態は直接接している環境に対する認識の急性の狭窄化または完全な欠損によつて特徴づけられ,環境刺激への著明な無反応性または無感覚として現れる。無反応性には,軽微な常同的行動(:指運動)を伴うことがあるが、一過性の麻痺または意識消失と同様に、これにその人は気づかず、および/または制御することもできない。」と説明されている。

 解離性遁走には不明なことが多いが、おそらく人間の心にはある種のプリミティブな意識状態のモード、コンピューターで言えば、DOSモードのような状態が存在し、そこへの回帰が時々原因不明ながらも起きるのではないか? 遁走状態にみられる自我の在り方は、いわゆる文化結合症候群に見られるそれにむしろかなり近い。アイヌのイム、東南アジアに見られるラター、アモックなどにかなり類似している。突然あるプリミティブな人格状態になり、急速に回復して健忘を残す。DIDによる人格交代と、遁走における人格状態の変化との違いは何か?
 おそらく人格状態の交代には、二つの要素がからんでいることになる。一つは主人格のストレスの大きさないしはストレス耐性の弱さであり、それが人格部分にスイッチするきっかけとなりうる。そしてもう一つは人格部分の持つ準備性、あるいは「出たい」という衝動であろう。おそらく人格Aがストレスに耐えられず、また人格Bが出番待ちをしているというタイミングが重なれば、AからBへの移行がスムーズに生じる。しかしAがストレスに耐えられない時に、Bに相当する人格が未形成な、あるいはプリミティブなモードの場合はどうか? おそらくそれが遁走状態を生むのであろう。遁走がしばしば全生活史健忘を生むのは、人格Bに相当する状態が、それ自身の生活史を持たず、いわば白紙の状態でAの人生を引き継いだ状態と仮定することが出来る。
 このことから導き出されるのは、TRPの考え方は、DIDタイプの人格交代に対してはある程度の応用が可能だが、解離性遁走に関しての応用可能性については未知数と言わざるを得ないということである。