このCさんの例では治療ではこの「父親はろくでなしだ」という言葉と「父は正直ものだ」という言葉のミスマッチが、そしてそれが「隣同士に置かれていること juxtaposition 」が治療の決め手となる。つまりろくでなしの父親、という頭にしみついた思考がいったんグラグラになり、別のものになって再固定化するというプロセスが可能になるというのだ。
以上の三つの例は必ずしもわかりやすいとは言えないかもしれない。「本当にこのようなことが可能なのか、これで治療になるのか?」という疑問を抱く読者もいるかもしれない。ただこれらを通して著者たちがどのような治療プロセスをTRPとして具体的に考えているかがわかるだろう。
症例Dさん
Dさんは20代後半の女性で、パニック発作を抱えている。特に閉所恐怖が酷い。車に乗っていて渋滞に捕まると「まずい、自分は今ここから抜けられない!」と思うと、胸のあたりがざわざわしてくる。そして深刻な発作が起きて来て、息が出来ずに気を失いそうになるという。セラピストは話を闻きながら、「なるほど、ではちょっとイメージトレーニングのようなものをやってみましょう。」という。(どうやら本書に出てくるどの症例にも共通しているのがこの部分だ。)
治療者:この間体験したパニック発作を思い出してください。今どこにいますか?
Dさん:高速道路です。渋滞につかまってしまいました。
治療者:状況をもう少し説明してください。
Dさん:隣のA市から帰る途中です。夫が運転していて私は助手席にいます。
治療者:なるほど。いいですよ。それでどうしましたか?
Dさん:私は「外の新鮮な空気が吸いたい。」と夫に言います。夫は「またか」といった感じで私にこう言います。「またキミの病気か。気のせいだってことがわからないのかい?何か楽しいことでも考えろよ」と言います。私は結局夫の理解が得られないで、苦しいままで耐えるしかありません。
Dさん:高速道路です。渋滞につかまってしまいました。
治療者:状況をもう少し説明してください。
Dさん:隣のA市から帰る途中です。夫が運転していて私は助手席にいます。
治療者:なるほど。いいですよ。それでどうしましたか?
Dさん:私は「外の新鮮な空気が吸いたい。」と夫に言います。夫は「またか」といった感じで私にこう言います。「またキミの病気か。気のせいだってことがわからないのかい?何か楽しいことでも考えろよ」と言います。私は結局夫の理解が得られないで、苦しいままで耐えるしかありません。
治療者:そうですか。では想像を膨らませて、そこから少し強気になり、大胆になったあなたを想像してください。普段なら言わないことも、しないこともしてみます。
Dさん:どうしようかしら…。そうですね、夫にこんな風に言います。「あなたは本当に私の苦しさがわかってくれないのね。いつも気のせい、気のせいって…・」
Dさん:どうしようかしら…。そうですね、夫にこんな風に言います。「あなたは本当に私の苦しさがわかってくれないのね。いつも気のせい、気のせいって…・」
治療者:ご主人の反応は?
Dさん:何か、きょとんとしています。私がそんな言い方をしたことがないからだと思います。
治療者:その調子です。続けてください。
Dさん:とにかく私は外の空気を吸うから、といいます。すると旦那は少し切れたようで、「そんなバカのことできるわけないだろう。ここは高速道路だぞ。警察が来るぞ。」と言っています。
治療者:それでどうしますか?
Dさん:私は死にそうなのよ。この際警察もなにも関係ないわ。
治療者:あれ、大胆ですね。ふんふん、それで?
Dさん:構わずにドアを開けました。車は延々とつながっているのが見えます。高速道路に自分の足で立っているなんて、変な感じです。でも案外いい景色です。
治療者:呼吸の苦しさはどうですか?
Dさん:そうですね。少しいいようです。歩いてみようかしら。
治療者:旦那さんはどうです?
Dさん:なんかうるさく騒いでいます。だからドアを閉めちゃいました。何かそれでも中でギャーギャー言っています。
治療者:どんな気持ちですか?
Dさん:割とすっきりしています。少し歩いてみます。向こうの方で警官の姿が見えました。私に気が付いたようです。でもいいんです。もう少しここら辺を歩き回ってみます。
治療者:どんな気持ちですか?
Dさん:へえ、こんな感じなんだ、と驚きます。旦那の言うことをいつも闻く必要はないんだ、と思いました。
Dさん:何か、きょとんとしています。私がそんな言い方をしたことがないからだと思います。
治療者:その調子です。続けてください。
Dさん:とにかく私は外の空気を吸うから、といいます。すると旦那は少し切れたようで、「そんなバカのことできるわけないだろう。ここは高速道路だぞ。警察が来るぞ。」と言っています。
治療者:それでどうしますか?
Dさん:私は死にそうなのよ。この際警察もなにも関係ないわ。
治療者:あれ、大胆ですね。ふんふん、それで?
Dさん:構わずにドアを開けました。車は延々とつながっているのが見えます。高速道路に自分の足で立っているなんて、変な感じです。でも案外いい景色です。
治療者:呼吸の苦しさはどうですか?
Dさん:そうですね。少しいいようです。歩いてみようかしら。
治療者:旦那さんはどうです?
Dさん:なんかうるさく騒いでいます。だからドアを閉めちゃいました。何かそれでも中でギャーギャー言っています。
治療者:どんな気持ちですか?
Dさん:割とすっきりしています。少し歩いてみます。向こうの方で警官の姿が見えました。私に気が付いたようです。でもいいんです。もう少しここら辺を歩き回ってみます。
治療者:どんな気持ちですか?
Dさん:へえ、こんな感じなんだ、と驚きます。旦那の言うことをいつも闻く必要はないんだ、と思いました。
この種のセッションを何度か続けることで、Dさんは車の中でパニックに陥ることが劇的に減ったという。
私がずいぶん脚色したので、本書に載っている実際の例とはずいぶん違ってしまったが、雰囲気は伝わったかもしれない。つまりこの例では閉じ込められた状態で「まずい、ここから抜け出せない」という状況でパニック発作を起こしていたDさんが頭の中でそれとは逆の体験をすることで、「再固定化」を引き起こすことができたという例である。
この本においては、精神療法のさまざまな形態において、コヒアレント・セラピーの中のTRPに相当するプロセスが事実上組み込まれているという主張が行なわれる。つまり記憶の再固定化がそこに生じており、それが有効に生じる為の記憶の不安定化とミスマッチという現象が起きていると言うわけである。これはある意味では非常に野心的でかつ重要な主張といえるだろう。
著者は、その例として EMDRを挙げる。EMDRを施行される方の場合にはお分かりと思うが、まず患者にトラウマ性の記憶をイメージしてもらい、EMDRを施した後、深呼吸をするというステップを踏み、それと積み重ねていく。そこに特別その記憶にミスマッチのある記憶や思考の探索に移るということは特にない。そこでもしその部分を組み込むとしたら、それはやはりTRP流のEMDRというべきであろう。
著者は、その例として EMDRを挙げる。EMDRを施行される方の場合にはお分かりと思うが、まず患者にトラウマ性の記憶をイメージしてもらい、EMDRを施した後、深呼吸をするというステップを踏み、それと積み重ねていく。そこに特別その記憶にミスマッチのある記憶や思考の探索に移るということは特にない。そこでもしその部分を組み込むとしたら、それはやはりTRP流のEMDRというべきであろう。
続いて次の3つの例、E,F,G例に進もう。
(以下省略。ブログには長すぎる)
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