2014年12月20日土曜日

最新の解離(10)

再固定化と治療への応用

 これまで再固定化についての最近の研究について振り返ったが、今後治療論に論を進める前に少しおさらいしておきたい。本章の冒頭で述べたように、これまでは記憶というのは一度形成されたら、後はそのままだと考えられる傾向にあった。たとえて言えばレコード盤の上に記録された微細な凹凸のパターンのようなものであり、そこをレコード針によりなぞって再生させることが記憶を甦らせることだという考えを持っていたのである。そこで再固定化について考える上で、このアナロジーを引き続き用いたい。 
 最初にプラスチックのレコード盤に音が蓄えられる際、表面に細かい凹凸からなる溝が焼き付けられていく。記憶を再生するとは、それこそレコードの針を走らせ、その凹凸を感じ取り、音に再生することになる。最初のレコード盤の凹凸が同じである限り、再生される音も変わらないことになる。
さて再固定化が起きるためには、一度記憶が不安定になり、可塑的にならなくてはならない。レコード盤の比喩で言えば、レコード盤の表面のプラスティックが、逆に新たな凹凸をレコード盤に刻み込む必要がある。これを起こすにはどうしたらいいのか? 単に思い出すことでは足りないらしい。
ちなみに単に思い出すことにも用語がつけてある。それが再活性化 reactivation というそうだ。すでに出来上がったレコード盤の上を針がなぞることである。そこでレコード盤の針が表面の凹凸を拾っているときに、何かが加わるとプラスチック盤上の凹凸が書き換えられる。それがこれまでの研究では「新しい情報」ということだった。単に受動的に音を拾っていただけのレコード針が、逆に能動的にレコード盤に新たな情報を刻印していく。
おそらくレコード盤の音を受動的に拾っているだけの針が、同時に刻印しているというような発想を私たちは持っていなかった。そんなことがおきようとは考えていなかったのである。それと問題は、この「新しい情報」がいったい何なのかが、これまではわからないことなのだ。しかしそのヒントになるような治療法が提唱されつつある。
ここで参考になるべき著書がある。Bruce Ecker , Robin Ticic , Laurel Hulleyによる「Unlocking the Emotional Brain 情動脳を開錠する」という本だ。
(Ecker, B , Ticic, R , Hulley, L.Unlocking the Emotional Brain: Eliminating Symptoms at Their Roots Using Memory Reconsolidation. Routledge; 2012.)
この本のエッセンスをひとことで言えば、記憶の改編、すなわち再固定化を促すのは、その記憶が想起された際に加わるある要素であるという。それを彼らは「ミスマッチ」と呼ぶ。記憶は、思い出すと同時に何か過去とマッチしないことが起きなくては改編されない。
再固定化=再活性化+ミスマッチ
ということになる。
再固定化についての知見が広まった当初は、記憶が呼び起されることだけで、再固定化が起きるという誤解が広まっていたし、今でもそのような誤解があるという。確かに臨床の場面でも、外傷の記憶を呼び覚ますだけで「徐反応が起きた!」と考えて、それが治療の一環だと思う臨床家は少なくないかもしれない。ところが記憶が呼びさまされた状態でミスマッチな情報や刺激を与え、一定の時間内に(それをこの本ではそれを5時間の「再固定化の時間帯 reconsolidation window」としている。P.22)それを繰り返すことで、新たな学習が成立するというのがEcker らの主張なのである。。
ではこのミスマッチとは何か。それは期待を裏切るような「際立って新奇なこと、ないしは明確な矛盾 salient novelty or an outright contradition 」であるという。つまり目につくような新奇さや、露骨な矛盾ということだ。たとえばネズミが一定の音を聞いて、「いよいよこれから足にショックが来るな」と身を縮めた時、ショックの代わりに温かいミルクを与えられたり、柔らかい物体で体をなでられたり、ということだろう。そして「期待したことと違うことが起きた!」というエラーメッセージが脳のどこかから出されなくてはならない。それにより徐々にネズミは「一定の音」により身をすくますことがなくなっていく。
ところでここで大事な点なのだが、この再固定化は、このネズミが記憶している「音が鳴った後に足に刺激を与えられた」という思い出を消すことにはならないという。電気刺激を受けて、不快を覚えたことは覚えているが、身をすくませることはない。つまりは陳述的な記憶はそれとしてきちんと保存されているというわけだ。
 この再固定化を用いた治療法のことを本書では「コヒアレンス療法 Coherence Therapy」と呼び、その中でTRP(治療的再固定化のプロセスtherapeutic reconsolidation process)としているので、今後このTRPという呼び方を用いよう。ちなみにここでの coherence とは一貫性、統一性、という意味だが、それは症状はその人の学習した結果からは必然的に起きてくるのであり、その学習そのものを再固定化により改変することは、症状の消失に必ずつながる、というような意味である。本書には、結局次のような治療の手法が描かれている。全部で3段階からなるという。
1.症状を同定する
2.治療対象となる学習内容を聞き取る
3.学習内容の「DK, disconfirming knowledge それまでの確信を崩すような知識」を見出す

本書にはいくつかの具体例が載せられているのでそのうち三つを参考にして説明しよう。ただし私なりに編集してある。

症例Aさん
Aさんは30代の男性である。彼は職場で自己主張をするのが苦手であるという。何か言おうとしても、自分は意味のないことを主張していることになるのではないかと思い、なかなか口に出せないという。これが、1の「症状の同定」ということである。そこで治療セッションで、実際に職場で何かいいアイデアを出してみたことを想像してもらう。するとAさんは「ああ、自分は嫌われてしまった!」と感じられたという。治療者がその状況をイメージしてもらうと、Aさんは「ああ、自己主張をしちゃって、人から嫌われている。あの自己中心的でろくでなしの父親のように自分は思われてしまっているんだ。」と言う。そこで2.の「治療対象となる学習内容」とは、「自己主張すると、父親のようにいやな人間に思われる」という思考ということになる。これをもう少しはっきりと言葉に直すならば、「少しでも自信を持てると、それは自己中心的で傲慢であり、父親のようになってしまう。だから自分は決して自信を持てない。」となる。この文章を治療者がAさんと話し合って作成した後に、Aさんはこれを口に出して読んだ。その際に、心から、ないしは体のレベルで「この通りだなあ」と感じられることが大切であるという。治療者はこれをAさんにインデックスカードに書かせて、次の治療セッションまでに何度も読んでみるように指示した。
次のセッションでAさんはこんな経験を報告したという。「昨日会社である企画が頭に浮かんだんですけれど、例により自信がなくて言えませんでした。ところが隣の同僚がその同じ企画を口に出して提案し、結構受け入れられたんです。私はその時ちょっとしたショックを受けました。」治療者はこの体験を3.のDK(学習内容の確信を崩すような知識)として使うことを決めた。
治療者はAさんに「では次のようなシーンを想像してください。あなたは仕事場の企画会議で一つのアイデアを思いつきますが、口に出さないことにします。そんなことをすると傲慢だと受け取られて嫌われるからです。すると誰かがそのアイデアを口にします。そして驚いたことに、誰もそれを傲慢とは思わず、そのアイデアをうけいれたのです!」このイメージトレーニングを治療者はAさんに何度もやってもらう。そうしてもう一枚のインデックスカードを取り出して、文章を書いてもらう。
「少しでも自信を持てると、それは自己中心的で傲慢であり、父親になってしまう。だから自分は決して自信を持てないと思っていた。ところが実際に口にすると全然そんなことはなかったのだ!」
これを次のセッションまでにAさんは暇さえあれば何度も取り出して読むということになった。


症例Bさん

Bさんは37歳の女性で、女性のパートナーDさんと8年連れ添ったが、最近別れてしまったという。しかしそのつらさに耐えられずに、元のパートナーに電話をしては泣き崩れるということが何度も続いていた。彼女は過剰にかかわりを求めてくる母親と、酒飲みで拒絶的な父親のもとに育ったが、両親は彼女が12歳のころに離婚してしまったという。Bさんは「私とDとの関係は、『根源的な結びつき』だったのよ。ちょうど子宮の中で母親と一体となっているようにね。」という。セラピストは「私と彼女が別れるなら・・・・」と言い、そのあとを埋めてもらった。Bさんは「私と彼女と別れるなら、私は自分を失うわ I lose me」といった後、その意味が分からないといった。「私は彼女の中でばかり揺れ動いていて、自分というものを考えなかったのよ。」それに対して治療者は言った。「もしあなたが彼女になり、そして彼女を失ったとしたら」というと、Bさんは、「そうね、そういうことだわ!」と叫んだ。そこでインデックスカードにBさんに次のように書くように言う。「私の大事な部分があなたになり、それを失いたくない。」 そしてそれを次のセッションまでの2週間の間に何度も読んできてもらった。二週間たって現れたBさんは言う。「何か変な感じ。私が二人いて、一人は私のそばにいて、もう一人はDさんと付き合っていて…。でも私と彼女が一緒になるって、死ぬことじゃない?って思うようになり、変な気がするようになったのよ。それじゃうまくいかないわ。」そこで改めて治療者はBさんに書いてもらった。「私は彼女と一緒になるといい気持ちかもしれないけれど、もっともっと悪いことが起きるわ。」
これを治療者は繰り返してBさんに唱えてもらうことになる。つまり誰かと一緒になることが同時に心地よく、また恐ろしいという考えを何度も唱えるという治療を行うことになったという。

症例Cさん

30代前半の男性であるCさんは、仕事をしても続かず、ガールフレンドが出来ても二ヵ月と続かずにすぐに愛想をつかされてしまうという。「自分はどうせ何をやってもダメなんです。」と自暴自棄なことを言う。面接では色々聞いて行くうちにまたもや父親の話が出てきた。彼の父親は C さんを小さい頃から一度も褒めたことがなく、愛情のかけらも注いでくれなかったという。「私が人生で上手く行ってしまえば困るんです。父親が私をちゃんと育てたことになりますからね。」治療者はCさんに言って見る。「目の前にお父さんを思い浮かべて下さい。そして『父さん、僕は仕事がうまく行っていて、今度サラリーをあげてもらうことになりましたよ』って言って御覧なさい。」
それを聞いて C さんは「すごく嫌な感じがします。というより緊張します。そんなことは言えませんよ。彼が父親としてうまく育ててくれたことを示すことになっちゃいます。」という。治療者は「ということは、あなたがいかにダメ人間かを示すことで、自分がいかに育て方を間違っていたかを理解させたいというわけですね。」 C さん:「ふーん、そういうわけか。」 ここで治療者は大事なことを指摘する。「でも C さん。あなたはお父さんに期待しているというわけだ。あなたがいかにダメ人間になったかを示すことで、お父さんは心から反省し改心して『俺はダメな父親だった。済まなかったね。』とあなたに謝るということを、あなたは期待しているんでしょう?」そこで C さんは意外そうな顔をする。

結局セラピストは C さんに次のようなセンテンスを言ってもらうことになった。「私の父は自分の過ちを正直に認めて謝るような人です。」それを言った後Cさんは言った。「ありえない!!!