2014年11月12日水曜日

脳科学と精神分析 推敲の推敲(2)


2.ハードウェアとしての脳をどうとらえるか
―フロイト説からトノー二説まで

「脳科学と心の臨床」(岩崎学術出版社、2006年)の冒頭部分で、私は「ハードウェアの摂理」という概念を提出した。要するに脳は物体というハードウェアで出来ており、その細部がそれぞれ重要さを持っているということだ。これは、例えば心を霊魂のようなもの、形のないものと考える傾向とはまったく逆ということになる。人が霊魂やヒトダマの内部に構造を考えるだろうか? 「ヒトダマを解剖したらこんな内部構造になっていました」みたいなことはありえない。私たちが想像により生み出すものはたいてい均質で、細かい内部構造はない。

 福島第一原発で水素爆発が続けて起きたのは、発電機のバックアップが機能しなかったというハードウェア(のおそらく細部)の異常が原因だった。それとおなじように、心の機能も、その異常も脳の細部において生じている現象に依存する。「神は細部に宿る God exists in the detail」ではなくて、「心は(脳の)細部に依拠する mind depends on the detail (of the brain)」 ということだ。
「それがどうした?」と言われるかもしれない。でもいくつかの例を挙げれば、心の不思議をわかっていただけるかもしれない。医者をやっていると、例えば本の小さな血栓が脳のどこの部分に飛ぶかによって、その人のそれ以後の人生をいかに左右するかということをいやというほど知らされるのだ。
 ところで心を構成する細部、というと人は脳のことを考えるかもしれない。脳といえばその最少単位は脳細胞だと考えるのが常識だろう。でもそれと同様に心を規定しているもう一つの「細部」がもう一つある。それは脳細胞の更に内部に小さく折りたたまれている遺伝子情報なのだ。ここ2~30年で私達心の専門家の意識を変えたものがある。それは遺伝子情報が私達の脳を含めた身体の設計図とばかりはいえないという事実だ。人間の遺伝子の解析を行って分かったことは、遺伝子が高々3万程度しかないということであり、それで私たち複雑な人間のすべての形態や機能の設計図とはなりえないことである。
 それはもちろんある意味では当然のことだったといわざるを得ない。同じ遺伝子情報を持った蜂が、どうして働き蜂になったり女王蜂になったりするのか。あるいはもっと単純な例では、なぜ同じ遺伝子を持った私たち人間の細胞が、肝細胞になったり皮膚の細胞になったりするのか?遺伝子に関する研究が進むに連れて、遺伝子一つ一つに、その情報をいつどのように発現させるかを決める、きわめて複雑な仕組みが伴っているということだった。脳が生後数年間の間に目覚しい成長を遂げる中で、その遺伝子情報はさまざまな修飾を受けて発現していく。その間に、その遺伝子情報をオン、オフする仕組みは、実に多くの環境からの影響を受ける。その意味で脳を形成しているのは、遺伝子情報であり、生後の環境である。脳の細部、とはすなわち生後の環境、もう少し言えば愛着やトラウマの刻印を受けているのである。心はその産物といえるだろう。

情報を統合し、快不快を感じるシステムとしての脳

ここで虚心坦懐に、私たちがいたっている脳についての知識を総括してみよう。そこから精神分析との関係も見えてくるかもしれない。私たちは脳の大まかな構造をすでに知っている。それは大脳皮質と皮質下の様々な領域、つまり大脳辺縁系といわれる部分、そして脳幹、脊髄である。それぞれが何をやっているのかは詳しくはわかっていないが、いくつかのあらすじ、ないしはストーリーラインを知っている。

       脳は情報処理をするシステムである
 大脳皮質は身体の五感を通して得られる情報を処理する。それらは視床という部位で統合され、前頭葉や辺縁系により認知的な、そして情緒的な色付けがなされる。この部分の仕組みはトニー・ダマシオの業績だ。そしてそれらの情報の一部は快感中枢を通して、快、不快の味付けが行われる。この情報処理というシステムが、意識の成立と不可分であるという主張をしているのが、ジュリオ・トノーニの統合情報理論である。そして意識がそこからあたかも幻想のように析出してくるという説を唱えたのが、前野隆の「受動意識仮説」である。
       脳の活動の実態部分は「無意識」である
 これらの体験はしかし、常に受身的に行われているわけではない。脳はそれを常に予想している。そしてそれは基本的に「無意識」のプロセスと言っていい。そしてこれを外れたものが意識的な体験となり、記銘されていく。この心の実態部分としての無意識のこの精妙な構造を説いているのが、ジェフ・ホーキンス(「考える脳、考えるコンピューター」)の概念である。
     脳は快、不快を感じるシステムである
 これはこれまでの快楽原則や快感中枢の話から明らかであろう。更にそのような脳は幼少時より数多くの臨界期を重ね、そこで遺伝子の発動と環境との精妙なやり取りを通して形成され、成立していく。それを説いているのが、アラン・ショアやルイス・コゾリーノである。
      したがって心は離散的、非力動的な心の在り方をするものと理解すべきである。
これらを通して浮かび上がってくるのが、私が言うネットワーク的かつモジュール的な脳であり、それを通して生まれてくるのがである。私たちは患者の言葉をまず信じつつ、深読みをせず、様々な離散的な心の在り方に目を向け、そのトラウマに根差した病理を理解しつつ、主としてサポーティブな姿勢で、治療を行っていかなくてはならない。