2014年11月21日金曜日

発達障害と心理療法 (1)

オトナの事情が止まらない。このテーマで考える必要が生じた。実は一年半前にまとめたことがあるので、その蒸し返しである。
 まずはこんな感じ。そもそも発達障害という概念の高まりは一体どうなっているのだろうか?留まるところを知らないようである。猫もなんとかも発達障害。私も同様だ。発達障害の概念の興味深さは尽きない。
ここでDSM-5に敬意を表して、「神経発達障害(NDD)」という呼び方をしよう。なんだかこれだとずいぶん響きが違うけれど。ともかくも私はNDDという病理の理解を深めることで、パーソナリティ障害(PD)についての捉え方が大きく変化するものと考える。そしてそれが精神療法的なかかわりに大きく関係すると思うのだ。
NDDの基本的な特徴は、持続する深刻な対人的相互反応の障害と,限定的,反復的な行動,興味,活動の様式として捉えられる(DSM-IV)。NDDを持つ人々の深刻さはさまざまであり、ひとつの大きなスペクトラムを形成しているものと考えられる。そしてそのうち軽症例ではNDDというよりはむしろPDとしての様相を呈する。実際に臨床場面で出会うNDDを有する人々の多くはさまざまな対人関係上の特徴を示すことが多い。それらは猜疑心や被害念慮のつよさ、他罰的な傾向などである。さらに他者に対する配慮や思いやりを欠いた言動が目立つ場合には、その分だけ集団への適応も制限され、またその問題が治療関係にも持ち込まれて逆転移感情を生み、治療関係をも危うくしかねない。
NDDを有する人々の思考プロセスはしばしば全か無か、all good  all badかといったスプリッティングの傾向を示し、その意味であたかも境界パーソナリティ障害(BPD)の心性を反映したような行動を招きやすい。ただしBPDの場合のスプリッティングは他者からの強烈な見捨てられ不安に由来するのに対して、NDDの場合は、相手の心が読めないことから来る猜疑心や人間不信に由来するという点が異なるであろう。ただしもちろんこのような傾向を示さないNDDの人々も多く、また男女でその対人関係上の特徴には差が見られる。
ASPをひとつのPDとして考えることは、それと類似するPDとしてのスキゾイドパーソナリティ障害(SPD)や回避性パーソナリティ障害との区別の問題を提起する。これはこの間、杉山先生もおっしゃっていたな。SPDの際立った特徴は、感情的な冷たさ、他者への無関心さなどとされるが、それらはNDDの人々が示す猜疑心や人間不信と重なる可能性があり、その意味で従来はSPDと分類されてきた人々の多くが実はASPである可能性がある。

NDDの特徴を「人の心を読めないこと」と単純化するならば、同類の問題を抱える他の障害との比較を行なうことは、その鑑別診断にも役立つであろう。それらは、見捨てられ不安に駆られて人の心を読まなくなるBPD 、人の心を読む必然性を失っている自己愛パーソナリティ障害、相手に圧倒されてその心を読む発想を持たない社交不安障害、人の心が妄想的に読めてしまう精神病状態などである