2014年11月22日土曜日

発達障害と心理療法 (2)

アスペルガー障害―解離性障害の反対側にいる人たち

私がNDDの問題に出会い、どのような意味で関心を持ったかについてのプロセスを示したい。
 私は2004年に帰国したが、間もなく私は多くの解離の患者さんの治療をすることになった。私の勤務先の外来に、新患として訪れる方の多くが、解離性障害としてほかの治療者から紹介されていらっしゃることになったからである。私は別に「解離外来」を開いているわけでもなく、これは私にとっては予期しなかったことであるが、そのような事態になった。これは一つには、私はアメリカに滞在中の1990年代から、外傷に関する論文を書いていたという事情がある。そして外傷関連の論文として、PTSDも解離についても同じくらい扱った論文や報告をしているはずであったが、PTSDについてはその治療を標榜する方が日本でどんどん増えていったにもかかわらず、解離を扱う臨床家は一向に増えていかないという事情があった。
  こうして私の解離性障害の患者さんとの長い付き合いが始まったが、私が非常に印象的に思うのは、解離の患者さんたちがいかに治療関係を重んじ、律儀に外来にいらっしゃるかということであった。彼女たちの多くはアポイントメントには必ず時間通りに現われ、こちらに気を使ってくれるということである。彼女たちとの治療関係やラポールは比較的形成されやすいというのが私の偽らざる体験であった。むしろそれが彼女たちの問題になっているとさえ言ってもいいかもしれない。
 ただしもちろん形成したのは彼女たちが持っている多くの人格の中で渉外担当の対人関係のスキルを持っている人格ということもできるであろう。ともあれ彼女たちとのラポールが成立しやすいということは、逆にいえば彼女たちの過剰適応を表している可能性があるともいえるのである。
 解離性の患者さんたちとの治療は多くの場合カウンセリングのプロセスを、薬物療法と組み合わせることで成立する。そこで私は多くの心理士さんたちの協力のもとに外来を行っているわけであるが、患者さんたちの多くは心理士さんたちとの治療関係を維持することがうまくいっていく。ただしもちろんここでも患者さんたちが無理して心理士さんたちと合わせている、という可能性があるという問題がある。
やがて私は次のような図式を頭の中に思い浮かべるようになった。

解離傾向≒相手を思いやる傾向≒相手の気持ちが敏感にわか(りすぎ)る傾向。