2014年11月10日月曜日

汎用性のある精神療法の方法論の構築 (1)


 はじめに
ある心理士さんの話を伝え聞いた。彼の職場は、院長である一人の精神科医と複数の心理療法士を抱えたクリニックである。ある時院長が言った。「私の職場では、誰も認知療法をやれる人がいないので、誰かその勉強をしてくれないか?」 その心理士さんは彼のスーパーバイザーにお伺いを立てたが、分析的なオリエンテーションを持っていたそのスーパーバイザーはあまりいい顔をしないので困ってしまったという。 私自身も昔米国で精神分析のスーパーバイザーにロジャース理論について質問をしたところ、顔色を変えて「ロジャースに理論なんてないんだ!」と怒られたことがある(岡野、治療的柔構造)
 他方の精神医学の世界で起きていることだ。精神療法や精神分析に関心を示す精神科のレジデントが急速に減っている。はるか30年前、私が新人だった頃には、精神科を志す人の多くは哲学や心理学、精神分析に興味を持つ人たちであった。薬物療法に惹かれて精神科に「入局」する(今では死語かもしれない)人など知らなかった。30年前が異常だったのか、現在が異常なのかのどちらかは私にはわからない。でも精神科を志す人が特に減ってはいず、彼らの多くは生物学的な精神医学、薬物療法などに関心が移っているのは、時代の流れかとも思う。しかし彼らの脳科学への関心も精神療法的な考え方に組み込む必要があるであろう。さもないと精神科において基本である、医師と患者が言葉と心を交わすこと、という普遍的な部分がますますおろそかになってしまうであろう。薬一つを投与する際にも、医師―患者関係が大きな影響を及ぼすことは、医師から薬を出されるという経験を持った人には明らかであろう。

 さてこのような私の考え方は、基本的にはレスター・ルボースキーが再提唱した「ドードー鳥の裁定」に影響を受けている。といっても彼の概念に影響されたというよりは、私が常日頃考えていたことをそれがうまく表現していたからである。ルボースキーのこの原則についてご存じない方のために少し説明すると、彼は1970年代頃より始まった、「どのような精神療法が効果があるか?」という問いに関して、「結局皆優れているのだ、その差異の原因は不明なのだ」という結論を出した。それを彼は「不思議の国のアリス」に登場する謎の鳥の下した裁定になぞらえたのである。(ただし精神療法に関するこの「ドードー鳥の裁定」というアイデアは1936年に Saul Rosenzweig が提唱したものであり、それがこのルボースキーの提案で初めて注目を浴びることとなったのである。