2014年10月4日土曜日

脳と心(4)


   情報を統合するシステムとしての脳

 さてこのようなハードウェアの仕組みを前にして、私たちはどのような心のモデルを組み立てるのだろうか?心のモデルとはある種の情報の交流システムから析出されるもの、と表現するしかなくなってくる。そんな単純なものなのかといわれるが、それ以上に詳しいことがわかっていないからだ。ただその情報システムがどのような能力を持っているかは、おおよそ見当がつく。それはそのシステムはその情報を統合するシステムであるということである。もっと簡単に言えば、ある情報を与えられて、それを全体として判断し、イエス、かノーかを出力するシステムということだ。なぜこう言い切れるかといえば、私たちが通常心を持っていると想定するもの、すなわち動物は突き詰めればこれを行っているからだ。まずある種の知覚情報を入力することができる。そして判断を下すことができる。その判断とは受け入れる(取り込む)か、拒絶する(回避する、逃避する)かという判断である。受け入れるとは、それに接近し、捕食し、あるいは庇護されることである。拒絶するとは逆に捕食されることを回避する。生物にはもう一つ生殖という働きがあり、あたかも自分が生存を遂げることが、最終目的であるかのようにふるまう。
さて人間を考えれば、この第一段階の情報処理については目や耳などの感覚器官がそれを行っているのは明らかである。その情報は大脳皮質に伝えられ、まず第一次~野という部分で処理されてそれが視床に集められたのちに高次の皮質のレベルに上がっていき、それが「何」かが判断される。「何」の次に生じるのは、それがイエスかノーか、つまりそれが快か不快か、という判断がなされる。それにより、わかりやすく言えば捕食したり、愛着対象として認知したり、「闘争、逃避」反応が起きたりする。ただし視床からの経路が二つあることが知られている。一つは「速い下の道」で、扁桃核に直接つながり、「遅い上の道」は前頭葉に遠回りで伝わる。その結果として「黒く足のある物体」はまず視床で「クモ」と認定され、逃避が始まり、同時に前頭葉で「本物そっくりのゴムのおもちゃのクモ」と認定し直されて、逃げようとする体にストップをかけるというわけだ。
 さて以上のことを私は精神科医としての常識の範囲から知っている。ちょっと図に描くと

知覚野 → 視床 ⇆ 連合野
           ↓     ⇅
         扁桃核 → 行動

ここで起きていることを再び繰り返すと、心とは情報を統合して全体的に判断して、イエス、ノーを決めるシステムということになり、それは具体的には視床、知覚野、連合野、扁桃核などが司っていることになる。
こころとは何かというテーマについては様々な立場があるが、最近ジュリオ・トノーニが唱えている統合情報理論(IIT)も、結局同じことであろうと思う。IITで言っていることは、情報が統合されるシステムは意識を持つ、ということだが、統合されるとは結局「これは結局○○だ」という判断を下すことであり、それは人間の脳が皮質→視床→前頭葉を通して行っていることである。「これはゴムのクモであり、逃げる必要がない」という全体的な判断を行う前頭葉は明らかに「心」ないし「意識」であり、情報を一塊のものとして認定して判断を下しているといえよう。(それに比べて視床から扁桃核に至るショートカットは実は心を介しているとは言えない。無意識的にその判断がなされるからであり、それは明らかに中途半端な、いわば自動振り分け装置を用いた、「心を用いる代わりの手っ取り早い判定」といえる。