2014年10月3日金曜日

脳と心(3)

ハードウェアとしての脳をどう考えるか?

「脳と心の臨床」というあまり売れなかった本(私が書く本のほとんどは、本当に売れない)の冒頭部分で、私は「ハードウェアの摂理」という概念を提出した。その本を久しぶりに読み直しても、はじめはその意味が良くわからなかった。これじゃ売れないな、と思ったのであるが、少し考え直してみると、やはり面白い概念だ。そこで私はやはりこれを主張したくなった。
 ハードウェアの摂理という概念で私が何をいいたいかというと、脳はハードウェアで出来ており、その細部がそれぞれ重要さを持っているということだ。これは、例えば心を霊魂のようなもの、形のないものと考える傾向とはまったく逆ということになる。人が霊魂やヒトダマの内部に構造を考えるだろうか? ヒトダマを解剖したらこんな内部構造になってました、みたいに。
福島第一原発で水素爆発が続けて起きたのは、発電機のバックアップが機能しなかったというハードウェア(のおそらく細部)の異常が原因だったように、心の機能も、その異常も脳の細部において生じている現象に依存する。「神は細部に宿る God exists in the detail」ではなくて、「心は(脳の)細部に依拠する mind depends on the detail (of the brain)」 ということだ。それがどうしたって? うーん、大したことがないといえばそうだ。でもいくつかの例を挙げれば、心の不思議をわかっていただけるかもしれない。でも医者をやっていると、例えば本の小さな血栓が脳のどこの部分に飛ぶかによって、その人のそれ以後の人生をいかに左右するかということをいやというほど知らされる。人間の脳の中央部に、一対の視床という部位がある。それがどれだけ膨大な機能をぎっしりつめた部位なのか、その一部の損傷がどのような影響を与えるのかを考えると、紛れもなく「心は細部に依拠する」と思えるのである。

心を構成する細部、というと人は脳のことを考えるかもしれない。脳といえばその最少単位は脳細胞だと考えるのが常識だろう。でもそれと同様に心を規定している細部がもう一つある。それは脳細胞の更に内部に小さく折りたたまれている遺伝子情報なのだ。遺伝子とは、いきなりナンダ、と言われるかも知れないが。ここ2~30年で私達心の専門家の意識を変えたものがある。それは遺伝子情報が私達の脳を含めた身体の設計図とばかりはいえないという事実だ。人間の遺伝子の解析を行って分かったこと。それは遺伝子が高々3万程度しかないということ。それで私たち複雑な人間のすべての形態や機能の設計図とはなりえないことである。
 それはもちろんある意味では当然のことだったといわざるを得ない。同じ遺伝子情報を持った蜂が、どうして働き蜂になったり女王蜂になったりするのか。あるいはもっと単純な例では、なぜ同じ遺伝子を持った私たち人間の細胞が、肝細胞になったり皮膚の細胞になったりするのか?遺伝子に関する研究が進むに連れて、遺伝子一つ一つに、その情報をいつどのように発現させるかを決める、きわめて複雑な仕組みが伴っているということだった。そして脳が生後数年間の間に目覚しい成長を遂げる中で、その遺伝子情報はさまざまな修飾を受けて発現していく。その間に、その遺伝子情報をオン、オフする仕組みは、実に多くの環境からの影響を受ける。その意味で脳を形成しているのは、遺伝子情報であり、生後の環境である。脳の細部、とはすなわち生後の環境、もう少し言えば愛着やトラウマの刻印を受けているのである。心はその産物といえるだろう。