2014年10月12日日曜日

脳科学と精神分析 (推敲) (1)

「脳と心」についてしばらく書いていたが、「非決定論的な心の在り方」をキーワードにして、「脳科学と精神分析」ということで書きなおす必要が生じた。「(推敲)」とはそういう意味だ。お付き合い願いたい。そういえば確かに書き残したことがある。たとえば快感中枢の発見の話題。夢の生成のところで、ダーウィニズムの話もでたな。いずれもフロイトになかった発想である。この二つを入れなくてはならない。
 フロイトは100年以上前の人である。個人的なことで失礼だが、フロイトは私よりちょうど100年マイナス3日前に生まれた。その頃フロイトが持っていた脳に関する知識と私たちが有するそれとは雲泥の差である。
 それでは脳を知ることで心を知るということはどういうことか?そもそも脳で起きていることは見えなかった。というより心が脳に宿るということさえ定かでなかった。心=心臓という図式が様々な言語であてはまるように、心はずっと頭より下にある心臓に宿っていると考えられていたからだ。では脳が心の座としてクローズアップされてきたのは歴史上いつか?「脳と心」で私は、ブローカ中枢の発見と脳波の発見を挙げた。今回は私はオールズとミルナーの快感中枢の発見を付け加えたい。