2014年9月8日月曜日

ブロンバークの解離理論(7)

 ここで少しぶっちゃけた話をする。私は心の理論は、抑制と解離で結構片付いてしまうような気がする。抑制とはsuppression.(ちなみに抑圧はrepression) あることを「考えないようにしている」のはほとんどは抑制のほうだ。心の片隅に一時的に押しやっているが、油断をすると出てくる。おなじみの心の機制。誰でも日常的に体験している。でも抑圧のほうは実は正体不明である。理屈としては抑圧は「抑制をもっともっと深く、強くしたもの」というニュアンスがある。抑制する先は前意識だろうが、抑圧はそれより深い無意識。でもフロイトは抑圧されたものは常に出て来ようとする力を持っているという。いわゆる逆備給という力。風船を水面下に押し込めると上がってこようとするだろう。そして心はこの圧力を感じているはずだ。あるいは症状という形でその影を意識野に落とす。でもそれも結局は抑制(の強いもの)、ということではないか。だって力を感じているということは「押し込めている」という実感がどこかに働いているのだから。そしてこの力が感じられなくなったとしたら、それは結局「解離」と変わらない気がする。
フロイトはこの抑圧という概念に確信を持っていた。心という装置は抑圧されたものをさまざまなものに加工する。それが症状であり、錯誤であり、時には創造的な活動であると考えた。しかしその後の100年の精神分析の歴史で、そうは簡単にいかないことがわかっている。解釈により、抑圧されたものの内容を解き明かすという作業がいかに難しいか、それがいかに「絵に描いた餅」になりかねないかを臨床家ならよく知っている。

私は学生に次のような説明をすることが多い。解離とは無意識の中にある箱のふたが閉まっている状態である。それ自体は静かで、その存在は普通は感じられない。抑圧とは、その蓋が半開きで、中から出ようとしているものが感じられる。ふたを内側からノックしている音が聞こえる(症状)。これって意識野からもその存在が感じられるもの、つまりは抑制された内容という気がする。無意識に静かに眠っているもの、となると抑圧とも解離とも呼べるなにかではないか。とすると抑圧という概念が実は非常にあいまいである以上、解離の概念の方に軍配が上がる気がする。