ハイデルベルグ行の続きだ。私は物覚えが極端に悪いが、結構その2,3日間は覚えている。
カンサスシティ-から危なっかしい乗継をして、シカゴについたときは、確か9時半初のフランクフルト行きの便の出発はかなり迫っていた。幸いシカゴの気象状況はさほど悪くなかった。飛行機は無事飛び立つようである。フランクフルト行の国際便の搭乗口まではかなり遠かった。全力で走らないと間に合わない・・・・。この時ばかりは私は必死で走った。しかしこんなにまでして無理な計画を立てて自分はハイデルベルグに行こうとしているのだ・・・・。無事に搭乗口までついたときは、もうフランクフルト行きの便の最終案内が行われていた。
カンサスシティ-から危なっかしい乗継をして、シカゴについたときは、確か9時半初のフランクフルト行きの便の出発はかなり迫っていた。幸いシカゴの気象状況はさほど悪くなかった。飛行機は無事飛び立つようである。フランクフルト行の国際便の搭乗口まではかなり遠かった。全力で走らないと間に合わない・・・・。この時ばかりは私は必死で走った。しかしこんなにまでして無理な計画を立てて自分はハイデルベルグに行こうとしているのだ・・・・。無事に搭乗口までついたときは、もうフランクフルト行きの便の最終案内が行われていた。
ちなみにこの飛行機はルフトハンザだったが、おそらく私が最後の乗り込みではなかった。もう一人いたのだ。すると便内でちょっとしたもめごとが起きた。どうやらダブルブッキングがあったようで、自分の席に着こうと思っていた人が、すでに同じ席の番号の航空券を持っている人に座られていて、当惑していたのだ。するとアナウンスが流れた。「明日の朝の便に変えていただける方はいますか。ちなみにその人にはファーストクラスをご用意いたします…」するといかにも身軽な若者が手を挙げて「別に急がないし、いいか」とか言いながら(と言ってもドイツ語でそういうことを言っていたと私が想像したわけだが)そそくさと名乗りを上げた。ということでこの件は落着し、飛行機はめでたくフランクフルトに向けて飛び立ったのだった。しかしこの便ではほかに変なこともあったな。ちなみに12時間かけてフランクフルトにつくと、そこも夜だったのだが、私のたいしたことのない荷物が空港で出てこなかったのだ。学会に出るためのスーツが入った荷物だった。しかしそれを待っているとその日中にハイデルベルグにつくわけにはいかない、というわけで次の便で無事着くことを祈ってハイデルベルグに旅立った。(しかし外国の航空会社って、いい加減だなあ。)
各章の内容を簡単に見ていこう。
「第1章 津波を収める」には、ブロンバーグの理論の骨子がおおむね出そろう。彼の解離理論はやはり以前に見たドネル・スターンと同様の路線である。外傷説とサリバンの理論と解離とエナクトメントと脳科学。そして愛着理論。これらが合流するのが新しいトレンドであり、その開拓者の中心人物がブロンバーグやアラン・ショアなのだ。彼は外傷を発達的外傷として、「連続体」としての外傷とみる。そして自分の存在の継続自体にとって脅威となるトラウマの影響を tsunami(津波)と表現する。(ちなみにこの「津波」は我が国を襲った東日本大震災とは直接は関係ない。それ以前の出版である。)
発達的外傷の体験により、私でない私(not-me, サリバンの言葉である)が形成されることは、「他者の目を通して自分を見る力の欠損を同時に意味する。そしてそれを治療的に扱う分析状況としてブロンバーグが提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期の外傷を、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性であるという。
この章で紹介されているいくつかの症例は、ブロンバーグの言う解離を見事に例証するような、非常に唆に富んだものであり、治療過程においてエナクトメントを通じて「私でない私」が自らの内に取り込まれて葛藤を達成するプロセスがとてもよくうかがえる。
「第1章 津波を収める」には、ブロンバーグの理論の骨子がおおむね出そろう。彼の解離理論はやはり以前に見たドネル・スターンと同様の路線である。外傷説とサリバンの理論と解離とエナクトメントと脳科学。そして愛着理論。これらが合流するのが新しいトレンドであり、その開拓者の中心人物がブロンバーグやアラン・ショアなのだ。彼は外傷を発達的外傷として、「連続体」としての外傷とみる。そして自分の存在の継続自体にとって脅威となるトラウマの影響を tsunami(津波)と表現する。(ちなみにこの「津波」は我が国を襲った東日本大震災とは直接は関係ない。それ以前の出版である。)
発達的外傷の体験により、私でない私(not-me, サリバンの言葉である)が形成されることは、「他者の目を通して自分を見る力の欠損を同時に意味する。そしてそれを治療的に扱う分析状況としてブロンバーグが提唱するのが「安全だが安全すぎない」関係性であるという。つまり早期の外傷を、痛みを感じながらもう一度生きることを可能にする関係性であるという。
この章で紹介されているいくつかの症例は、ブロンバーグの言う解離を見事に例証するような、非常に唆に富んだものであり、治療過程においてエナクトメントを通じて「私でない私」が自らの内に取り込まれて葛藤を達成するプロセスがとてもよくうかがえる。
「第2章 私の心には決して入らなかった」ではエナクトメントが、あくまでも二者的な解離プロセスであることが強調される。解離は患者だけではなく治療者をも包む繭のようなものとして表現される。そして示される臨床例では、虐待に関する秘密を解離させたまま、それを「靴の中の小石が取り出せない感じ」として描く患者の話が出てくる。秘密を抱えている患者とかかわるブロンバークが、その秘密をやや強引に探ろうとするエナクトメントを起こす。それを伝えることで治療の進展が可能となったプロセスが描かれている。
「第3章 この気持ち、わかりますか!」では、解離とメンタライゼーションとの関係が扱われる。ブロンバーグは、ピーター・フォナギーやジョン・アレンなどの研究者による業績と自分の治療論を非常に近い位置においている。彼はまた解離についての彼の考えを本章でわかりやすく示している。彼によれば、解離は基本的には正常範囲でも起き、それはたとえば物事に夢中になった一意専心のような状態であるという。また抑圧は不安に対する反応であるのに対し、解離は外傷への反応であることとし、それをサリバンの分類に根拠づける。サリバンは不安それが生じる状況を段階的に実感することを許すが、外傷(サリバンの言葉では重度の不安 severe anxiety)では、起った時の直近のことがすっかり消し去られてしまう、と表現している。