2014年9月2日火曜日

ブロンバーグの解離理論(1)

人生にはいろいろな偶然が起きるが、一つうれしい偶然が起きた。私が読まなくてはならないと思っていたフィリップ・ブロンバーグという分析家の本の本を読んでコメントする(つまり書評する)というお仕事を頼まれたのである。だから出版社から本も送ってもらった。やった!「関係するこころ」フィリップ・ブロンバーグ、吾妻壮ほか訳、誠信書房、2014年。吾妻先生と言えば、一緒に仕事を何度もしているお仲間である。
偶然と言えばもう一つ。送られてきた結構分厚い本の序文を39ページにわたり延々と書いているのが、これまで数日間ここで紹介してきたアラン・ショア先生なのだ。
この本をしばらく読んでみるのだが、私にとっては懐かしい、うれしい気持ちがする。私が自然な流れとして持つようになった、解離、関係精神分析、脳科学などへ関心が、アメリカの分析家たちによって、以前から研究され、様々な業績がすでにあげられている。共通の趣味を持った人(というよりその道の大先輩)に出会ったという感じだ。
 精神分析で解離に興味を持つ人間は、日本ではあまりいない。細澤仁先生くらいだろうか。でもとても重要な概念であるし、少なくとも抑圧と同程度には重要だ。しかも抑圧は正体不明(あまりに多くの精神現象を含みうるという意味で)なところがあるのに比べて、解離は臨床的にはかなり具体的な現象として把握しうる。
もう一つ私がブロンバーグの研究に共鳴するのは、ショア先生に序文を頼むことからわかるとおり、その脳科学的な関心である。そして、彼らが必然的に行き着くテーマが「愛着」というのもよくわかる。愛着こそ脳科学、精神分析、解離、といったテーマが集約されている現象なのである。
ということで序文なのだが、ショア先生はこんなことを書いている。「フィリップからの序文の依頼の手紙に、『序文の分量はお任せします』と書いてあった。彼は私が延々と書く人間であることを知っている。ということは覚悟はできているだろう」みたいな。そして実際にこれでもか、というほどの長い序文。訳書で39ページにも及ぶ序文なんて見たこともないぞ。
 そこでそのショアの序文だが、大体ここ数日間見てきた内容と重複する。ひょっとしてコピペしたのではないかと思うほど重複している。しかしこのために書き下ろした形跡も見られる。おそらく彼ぐらいになると、ほとんどの情報が頭に入っていて、自在にアウトプットができるのだろう。生前の小此木先生のようだ。
ショアは脳科学と心の問題の結びつきの解明にこの上ないエネルギーを注いでいるわけだが、私には単なるこだわりには見えない。むしろこの両方は結び付けない方が不自然なのだ。一方の心の問題はある意味ではそれ自身を追ってもほとんど進展が見込まれないような分野である。哲学ってそういう感じだと言ったら、哲学の専門家に怒られてしまうだろうか。他方では脳科学の研究は日進月歩である。ということはそこでの知見が心の理解につながることを期待するのは、非常にまっとうな考え方である。
ということでこれまで見てきたテーマがこの序文にも繰り返される。母親と乳児の右脳同士の共鳴、同期化が乳児の脳を育てるという主張。これを一種の刷り込みのプロセスとしても論じている。刷り込みとは、雁のひなが最初に見た動くものを母親と勘違いして後を追うというローレンツの研究が有名だが、これには臨界期があり、一定時間を過ぎると、この刷り込みは生じなくなるという。おそらく私たちの脳にはこの種の臨界期が多く存在する。そして人間が人の気持ちを理解し、情緒的な交流を行う能力を身に着ける時期にも臨界期がある。それがおそらく右脳だけが活動を開始し始めた乳児期ということなのだろう。

そして子の愛着の時期にみられる波長を合わせること attunement の失敗としての misattunement の結果として生じるのが解離であるという説明、そしてそこにはポージスのいう背側迷走神経が関与しているという点など、すでにおなじみの説が続く。