目につくところだけをメモ程度に書いていく。
著者はある日Xと同姓のある男性が、ちょうど似たような恐喝を働き、いくつかの問題を起こして服役中であることを知る。恫喝して金を脅し取る手口がXのやり方に酷似している。そしてやがて彼がXの実弟であることを知る。この話が興味深いのは、遺伝負因である。同様の血が流れているのだろう。ただし生育環境を共にしているということも関係しているであろうが。
ところで相変わらずキンドル版で「家族食い」を読み進んでいるが、相変わらず登場人物が多すぎてついていけない。というより全体像を把握するのではなく、Xの精神病理を知ることを目的にしているから、些事に関しては大事ではないのだが。
もうひとつの気になる箇所。Xに対して仲間が強盗を持ちかけるところがある。ある倉庫が手薄になるという情報を知ったので侵入すれば簡単に品物が手に入る、というような経緯だったらしい。Xは二つ返事。まったく迷いや良心の呵責といったものを感じられない。Xは話を大きくしたり、架空の話をでっち上げたりするということはお手の物である。これらの点から、おそらく反社会性パーソナリティの診断を満たすことはほぼ確定である。反社会性-の場合には、粗暴で衝動的な行為、人を欺くこと、激しい攻撃性、違法行為等により特徴付けられるが、これはすべて簡単にクリアーする。そしてそのうえで思うのだが、司法精神医学で問題となるような犯罪者たちの人格を理解する上で、精神医学的な診断は、その一部しかカバーしていないということだ。Xのような診断基準を満たすワルイ人はゴマンといる。しかしXや、たとえば最近の佐世保の高1生がクローズアップされるのは、彼らが世間の耳目を惹くような事件、特に殺人を犯したからであり、そこに反社会性プラスαの何かがあるからであろう。Xの場合それはなんだったのか。おそらくそれは人を操作する技術であり、そこに卓抜したものがあったのであろう。それにより彼女はあれだけ多くの人々を取り込み、その人生を弄んだ。何らかの魅力、磁力、強制力が犠牲者たちを惹きつけたのであろう。それらは自分の目指す行動を貫徹する強い意思、思い入れ、といったものだ。思い込みと強い意志を持った人間の前で、私たちは容易に同一化し、それに取り込まれる。オウム真理教のような例を見ればいいであろう。それが狂気に満ちていても、あるいは狂気を含んでいるからこそ、人はそこに惹き付けられるところがある。ただしその狂気は同時に計算や操作性を伴ったそれでもある。彼らは最終的に人心を掌握し、そのために自分が得られる利得を明確に意識する。Xの場合はそれを金銭に限定してもいいのではないかと思う。すべては金のために人を操作する。そしてその中には一見包容力があり、情けのある声をかけるということも含まれていたらしい。「『あんたも不憫な子や。親に苦労させられたやろうに、ようがんばってきた」みたいな言葉を、涙を流しながらかけられていた」マサという手下はそれでXについて行ったという逸話があげられている。
トラウマの文脈から言えば、このXの逸話は非常に興味深い。恫喝し、実際に暴力を振るったり他人同士で振るうように仕向けることで、人はその虐待者に同一化し、時には従順に従うことを決める。その虐待者から思いがけずかけられる優しい言葉は、ある意味ではその服従関係を決定的なものにしてしまうのである。