2014年8月10日日曜日

子供の人格の扱い方(推敲)3


子供の人格に応対する時のもう一つの懸念を思い出してみよう。それは「あからさまに子供の人格を相手にすることにより、子供の出現が定着してしまうのではないか」というものであった。実はこの問いに対する答えは微妙なものとなる。それは確かに場合によっては、そのようなかかわりにより短期的にではあれ子供の出現が「定着」してしまう可能性があるからだ。そしての定着の仕方によってはそれが本人のために好かったり悪かったりもするのである。
子供の人格とは、おそらくその人の中でまだ扱われ切れていない部分という意味を持つ。その人が子供時代に表現できなかったものが残っていると考えてだいたいは間違いがないだろう。DIDの方の多くは幼少時に子供らしさや甘えを十分に表現できていない。これは臨床で彼女たちに会っていて持つ印象である。そしてそのような患者さんたちの子供時代としては、幼らしさや我儘を表現することが抑圧された厳しい生育環境を想像することが出来る。
 ただし例外と見られる場合もあるようだ。DIDの方の母親が「この子は小さいころから頑固で自己主張が強いという一面を持っていました」と話すことがあるのである。このようなことからも子供人格の成因について安易に憶測することには多大な危険が伴う。すぐにでも両親の批判が始まってしまいかねないからだ。だからここでは一般化した言い方を用いて、「子供の人格はともかくも自己表現を求めて出てくると考えるべきだ」という程度に考えておこう。この表現であればほぼ妥当であると考えられるからである。そして自己表現の機会が必要なくなった子供の人格には冬眠という手段が残されているからであり、っているからである。
 さてあるDIDの方Aさんが、ある程度受容な人、例えば恋人Bさんに出会い、デート場面で子供人格Aちゃんが出てくるとしよう。(その受容的な人とは治療者でもパートナーでも友達でもいい。でも個々では一応恋人を想定する。)AちゃんはBさんと仲良くなり、しばしばBさんがいる時に出て来て、遊びをせがむようになる。子供の人格の出現が「定着」した状態と考えていいだろう。するとBさんにとっては恋人と会う時間にその子供の相手をすることになる。彼はそれを不都合と感じるかもしれない。それがBさんにとって好ましくない状況であり、BさんがAちゃんの主人格Aさんに会いたいと思う気持ちを対象なりとも失わせるとしたら、Aさんにとっても不都合なことになろう。
 もちろんBさんがAちゃんの出現を歓迎するか、少なくとも受容的な態度で接する場合もあるだろう。そしてそれがAさんのBさんへの信頼を増すことになり、二人の仲がより親密になるとしたら、結果的にこの「定着」は悪くなかったということにもなるのだ。
現実にはこのような場合さまざまなケースが考えられる。BさんがAちゃんの出現に寛容な場合が多い印象があるが、時にはAちゃんを全く相手にしようとしなかったり、虐待的であったりするのである。

いわゆる「出癖(でぐせ)」について


子供人格の「定着」を促進するべきか、回避するべきかは、実際とても相対的な問題である。ケースバイケースであり、それが良いことか悪いことかは単純には決められないと言うことだ。
 Aさんの子供人格Aちゃんが、恋人であるBさんを訪れることが多くなっている、という同じケースについて考える。それが是か否かは、実はAさんとBさんとの関係だけでなく、Aさんの生活全体を見なくては判断できないことなのである。たとえばAさんがパートで本屋さんに勤めているとしよう。週3回、勤務時間は8時間だ。仕事は大体Aさんにはこなせる範囲だが、週末に客がたくさん訪れたり、クレームを付けるお客さんが現れたりすると、Aさんのキャパシティを超える緊急事態となることもある。Aさんは通常は一生懸命大人の人格で仕事をこなすが、そのような緊急事態では、時々意識や記憶が飛んでしまい、Aちゃんの人格が出現するというようなことが起きるようになったとする。