昨日テレビを見ていてふと、昔ドイツのハイデルベルグという場所に一泊したことがあるのを思い出した。何年前のことだろう?アメリカにいたころだ。1998年くらいか。全く非日常的なことがあると、その日のことは一日しっかり覚えているものだが、この日も朝から晩までほぼ記憶に残っている。なぜハイデルベルグなのか?そのころ私は何度受けて儲からない試験に挑戦していた。アメリカの精神科専門医試験である。私には7回落ちた試験と、5回落ちた試験がある。そのうち7回落ちたほうだ。5回落ちたのは当時FMGEMSと呼ばれたもの。米国の医師免許を獲得するための予備試験のようなものだ。これも苦労したな。こちらの方は1983年から1988年前での5年間の話である。
ともかく。どうしてハイデルベルグという縁もゆかりもない土地に一泊したのか。旅行という目的も特にあったわけではない。その土地に興味があったわけでもない。そこでその専門医の試験があったからである。なぜハイデルベルグ?米国の試験なのに。(つづく)
ともかく。どうしてハイデルベルグという縁もゆかりもない土地に一泊したのか。旅行という目的も特にあったわけではない。その土地に興味があったわけでもない。そこでその専門医の試験があったからである。なぜハイデルベルグ?米国の試験なのに。(つづく)
精神分析における解離理論から見えること
やはりこの項目を書いておくことは大事だろう。一つ言えることは、精神分析の世界は、もはやフロイトの時代のように、解離をタブー視し、抑圧一辺倒の考え方をするといった風潮からは変わりつつあるということだ。しかしあくまでも米国の分析の世界についていえることだが。だがその急先鋒たるスターンの論述を見ても、そこで出てくる解離は、あくまでも「広義の解離」とでもいうべきものに過ぎないという印象を受ける。(それとの対比で、解離性障害における解離を「狭義の解離」と呼んでおこう。)解離されている心はいずれは治療そのほかを通して主体に取り入れられる。そしてあくまでも主体は一つということになる。
このような考え方は、「本当の」あるいは「より狭義の」ないしは「より深刻な」解離性障害に悩む人にとっては必ずしも助けとはならないかもしれない。ある患者Aさんが、解離状態で「父親は嫌いだ」と言ったとする。スターンならAさんが解離をしていない状態Bで「父親は大好きだ」と言った時に、どこかにザワつき chafing を感じるだろうというだろう。「父親が大好きだ」という言葉や、それを表現するような行動をある種のエナクトメントとして理解することになる。しかし本当の解離では、それを本当に記憶していないのだ。「父親が大好き」という気持ちを語るためにはBさんを呼び出す必要があるが、その種の言及は一切ない。その意味ではスターンの解離理論はそもそも別人格という考え方を前提としていないのである。その結果として彼の議論がスプリッティングや抑圧にもとずく分析理論と似てくることには十分な根拠があったのである。
このような考え方は、「本当の」あるいは「より狭義の」ないしは「より深刻な」解離性障害に悩む人にとっては必ずしも助けとはならないかもしれない。ある患者Aさんが、解離状態で「父親は嫌いだ」と言ったとする。スターンならAさんが解離をしていない状態Bで「父親は大好きだ」と言った時に、どこかにザワつき chafing を感じるだろうというだろう。「父親が大好きだ」という言葉や、それを表現するような行動をある種のエナクトメントとして理解することになる。しかし本当の解離では、それを本当に記憶していないのだ。「父親が大好き」という気持ちを語るためにはBさんを呼び出す必要があるが、その種の言及は一切ない。その意味ではスターンの解離理論はそもそも別人格という考え方を前提としていないのである。その結果として彼の議論がスプリッティングや抑圧にもとずく分析理論と似てくることには十分な根拠があったのである。
ただしスターンの理論にある種の希望があるのは、解離された部分を所与 a given として扱っていないという点なのだ。解離は外側にあって、また主体Aによっては体験されていないということ。それは抑圧されたものはすでにAの無意識に存在していたという考え方と真っ向から対立する。Aは「父親が大好き」を、新しいものとして体験する。ただし体験する用意があれば、ということであるが。
ここにスターンの解離論が、狭義の解離に関する理論と、分析理論の中間に位置することが見て取れるであろう。それは解離された内容を、抑圧された内容のように所与のものとは扱わない点において、「狭義の解離」理論に似ていて、でもそれは結局ひとりの心の辺縁部(無意識と言ってもいいのだが)に形を成していないながらも存在しているという意味では、やはり分析的なのだ。