2014年7月27日日曜日

トラウマ記憶と解離の治療(推敲)24

今日は猛暑の中を「さちくり」(高田の馬場)の勉強会。夕立が幸いした。雨がありがたいと思うことはこんな時くらいだ。


記憶の改編および再固定で起きていること―「補助線」仮説
 最後に記憶の改編および再固定化の際脳の中で起きていることに関する私の仮説を示したい。それは私が「補助線」仮説とでもいうべきものである。幾何学で補助線を一本引くと見えなかったものが急に見えてきて、問題が一挙に解決するように、脳においてもわずかな神経回路の疎通が、ある種の記憶や思考内容の全体の質を変えるということが起きるのではないか。そしてそれが記憶の改編や再固定化で生じているのではないか、というのが私の仮説である。
まず最初に用語の問題について述べておきたい。私が改編 transformation と表現するときは、ある記憶内容が異なる意味を持って成立しなおすことを指す。その際の記憶は数日以内に起きた事柄についての記憶も、数週間たって皮質に転写された長期記憶についても両方を指す。一方記憶の再固定化は、その対象はおそらく皮質に移った長期記憶に対して用いる。この区別をしておくことは治療的に大事であることは言うまでもない。数日以内であれば、CISDによりその外傷性が増す可能性があるが、皮質に移ったものについては、その記憶の再生は外傷性は低く、暴露療法や再固定化の対象となるわけである。
再固定化と気づき体験
そもそも記憶の改編や再固定化とは、それほど特別な現象なのだろうか? たとえば気付きとか、「あ、そうか!」体験で起きていることとあまり変わらないのではないだろうか、という疑問も持っている。これについて少し考えて見よう。
 そもそも私たちがある事柄について決して忘れないような体験をする時、脳の中で何が起きているのか? 例えば長い間考えあぐねていた問題にあるヒントが与えられ、そこから一気にその問題が解決したとしよう。いわゆる「あ、そうか!」体験である。これは一度それが生じた場合には、二度とそれを忘れることはない性質のものである。その意味ではその問題に関する思考そのものが改編され、ないしは再固定されたということになるのだろう。
 この例で志向が改編ないし再固定化された際の脳の中の機序は、ある意味では容易に想像できることだ。ちょうど円環の最後がつながったような状態である。神経回路AとBがすでに形成されて、あとはAとBをつなぐ一本の回路が形成された状態と考えられるであろう。それにより主観的には「ああ、なんだ、AとはBのことなのだ」あるいは「ああ、AがBを引き起こしたのだ」という体験となろう。その後には「AとはBだよ」という説明を繰り返し聞く必要がない。ほんの一回だけ、それも耳元でささやかれるだけでも、「AはBだ」はそれ以降は再び学習をする必要がないほどに迅速な効果を及ぼす。学習という意味ではこれほど効率のいいものはない。
ひとつ例を挙げれば、私の主張が理解しやすくなるだろう。たとえばあなたの職場にAさんという同僚がいるとする。彼はどうも不思議な人で、今一つつかみどころがないという感じを、あなたは時々持っていたとしよう。どこかで打ち解けないような、でも時々酒の席などで急に馴れ馴れしさを示してくるところがある。秘密めいたところがあるようでいて、同時に開放的なところもある不思議な人Aさん。ところがある日から出社しなくなり、ライバルの会社から送り込まれた産業スパイであったことが判明したと、のちになって知らされる。あなたはそれによりこれまでAさんに対して持っていたさまざまな疑問が一気に解決する。「そうだったのか、Aさんは産業スパイだったのだ。だからおかしいと感じていたのだ。」という理解は、おそらく永久にあなたの記憶に残るのである。
「産業スパイとしてのAさん」という思考の持つ量は膨大である。それはその事実を知らされるまではあなたの頭に存在しなかった。しかしどうしてそれがほんの一瞬にして、しかもほぼ半永久的に形成されるのであろうか?私たちは4ケタの番号を記憶するのでさえ、何度も復唱しなくてはならないのである。それは何よりAさんに関する様々な情報はすでに蓄積されており、また産業スパイという概念に関してももちろん成立しており、あとは両者の間に一本の回路が形成されただけだからである。ちょうど水をたたえた二つのダムの間に掘られたトンネルのようなものだ。シャベルによる最後のひと堀りで両者がつながる。すると一つのダムになるのである。
 ただしもう科学的にはAとBがつながる、ということはダムがつながる以上の大きなインパクトを与えることになる。それはAとBという二つの神経回路が「同期化」するようになるということである。

ある思考内容が想起されているとき、それに相当する神経回路は興奮した状態になるが、それが同期化しているということが大切である。すなわちそれがひと塊として興奮し、その興奮の波形が一致することで(より正確にいえば、それぞれのサインカーブの位相が一致していることで)、その細部にまで思い至ることができる。Aさんを思い浮かべているとき、例えば彼の顔を想起した直後に声を想起することは比較的容易であろうし、彼の過去の経歴について聞き及んでいることも同時に思い出されるであろう。それはAさんに関係した様々な情報や記憶に関する回路が同時に励起しているからこそ可能なのである。
 さてAとBという回路につながりがないということは、Aの興奮に際してBが同時に興奮しない、つまり同時に想起できないということだ。そして両者につながりができるということは、Aの興奮がBの興奮を呼び、ないしはその逆のことが生じ、それが位相を同じくするということだ。それによりたとえばAさんの顔を思い浮かべても、その会話の記憶を掘り起こしても、それが「産業スパイ」という思考と同時に興奮するようになる。これはおそらくこれまでのAさんの記憶に全く新たな色彩を与えることになる。「Aさんがあの時あのような表情をしたのは、スパイであることの後ろめたさのせいだ」「彼が語ったあの経歴はあまり真実味がなかったが、おそらくまったく虚偽だったのだ。」という形で、である。