昨日は横浜の精神神経学会に午前中だけ出席した。大変な人数だった。数千人の精神科医が押し寄せる中にいた。大体日本の精神科医の平均的な外見がよくわかった気がする。
相変わらずというか、発達障害に関する発表は盛況である。今や発達障害流行りといった感じ。
相変わらずというか、発達障害に関する発表は盛況である。今や発達障害流行りといった感じ。
解離性障害の診断についてその全体的な考えを提供したい。筆者の経験する限りでは、社会生活にとって障害をきたすような解離性障害は、大きく分けて二つのタイプに分かれるようである。(今更解離性障害を分けるなんて、などと言わないでほしい。)一つは、DIDタイプ、ないしは多重人格タイプと呼ぶべきものであり、もう一つは解離性健忘タイプ、ないしは解離性遁走タイプである。ここでは呼び方を簡略させて、多重人格タイプと、遁走タイプとしよう。実は両方とも「古い」言い方なのだ。DSM-Vには両方とも出てこない。多重人格障害という呼び名は、はるか昔にDID(解離性同一性障害)に変更され(DSM-IV、1994年)解離性遁走という診断名はDSM-Vでは解離性健忘の一型ということになっている。しかし何もDSM-Vのいうことばかりを聞いている必要もないであろう。(私は反抗的、反米的である)。
DIDタイプの解離は、かなりその幼少時のトラウマとの関係が見えることが多い。このタイプについては私のこれまでの著書でも中心的に論じてきた。しかし遁走タイプの場合には、かなり事情が異なる。遁走タイプの場合には、解離エピソードの発生と仕事上のストレスは比較的明確なことが多いが、それが幼少時から連続して存在していたというケースは少ない。また解離エピソードは限定的で、繰り返されないことも多い。その期間の解離状態は人格としての形を成していないことも多く、それだけリラクセーションのような形で呼び出すことも難しい。
私は以前はこの多重人格タイプと遁走タイプは一つの病理の別々の表現ではないかと考えることが多かった。遁走タイプでも遁走している間の人格が存在し、それは基本的に呼び出したりコミュニケーションをとったりすることが可能であろうと思っていた。解離性遁走とは、結局はDIDの一つの在り方なのだ、とさえ思っていた。また遁走は一度生じた場合には、それがその後も再現され、繰り返されるものと予想していたのである。
しかし症例の経験を重ねていくうちに両者は別々の問題、別々の解離性障害であろうという結論を持つに至ったのである。
男性に多い遁走タイプは、日常生活で時々別人のような振る舞いを見せるということがある。その時しばしば理解されるのは、その「別人」はあまり精緻化されていないことが多いということだ。「精緻化 elaboration」とは要するに、眼鼻、口があり、顔つきがはっきりし、名前も明確であるということだ。「○○さん」として呼ぶことが可能な人である。
しかし症例の経験を重ねていくうちに両者は別々の問題、別々の解離性障害であろうという結論を持つに至ったのである。
男性に多い遁走タイプは、日常生活で時々別人のような振る舞いを見せるということがある。その時しばしば理解されるのは、その「別人」はあまり精緻化されていないことが多いということだ。「精緻化 elaboration」とは要するに、眼鼻、口があり、顔つきがはっきりし、名前も明確であるということだ。「○○さん」として呼ぶことが可能な人である。