2014年6月12日木曜日

解離の治療論 (57)

安克昌先生のことを思い出していた。私は合計2日しか声を交わしていない。でも神戸の震災があった翌年に、神戸の研究会に呼んでいただいたのだ。私は遠くから見ていてかなり精力的な論文を書く人だな、タイプAという感じかな、と思っていたが、直接会ってみると全然違ったのを覚えている。あの中井久夫先生も認める臨床感覚を持ち、文章力も並はずれていた。中山書店の精神医学体系を見ながら、そんな彼の思い出しばし浸った。 

ショアを離れた。いろいろ文献を読んでみる。
我が国であらわされた解離性障害の治療論としては、安克昌のそれが特筆するべきものであろう。VI.解離性(転換性)障害 B診断と治療 臨床精神医学講座5 神経症性障害・ストレス関連障害 中山書店 pp.443470 今となっては歴史的な意味合いの大きいリチャードクラフトの治療論を基盤とし、きめ細かな配慮を見せつつ治療論を展開する。彼は治療段階を9段階に分けている。これは実はクラフトの9段階に分けた治療論を展開していて、安先生は見出しも同じにして解説している。)第1段階。精神療法の基礎を築く。
2段階 予備的介入 第3段階 病歴収集とマッピング 第4段階 心的外傷の消化 第5段階 統合-解消への動き 第6段階統 合-解消 第7段階 新しい対処技術の学習 第8段階 獲得したものの定着化とワークスルー 第9段階 フォローアップ となっている。
私はクラフトの理論を歴史的、と言ったが、「精神分析的」と言い換えてもいいようなところがある。たとえば第4段階の心的外傷の消化、とは要するに患者にかつて生じた外傷体験を一つ一つ徐反応 abreact  していく、とある。それにより記憶の空白が埋まっていき、それにより次の段階の統合-解消resolution へと向かう。それは理屈ではそうである。しかしあまりにも理想的すぎるというのが私の偽らざる印象である。解離性障害の治療経験が重なるにつれて尊重されなくてはならないのは、たくさんのあたかも「自然消滅」していくかのような交代人格の存在なのである。彼女たちの多くにとっては、異なる人格が存在しなくなるわけではないが、それらは日常生活にあまり姿を現さなくなるのだ。そしてそれらの人々がことごとく過去の外傷体験についての徐反応を起こしているとは思えない。このように考えるとやはり安氏が今ご存命なら、私の意見に少しは同調していただき、9段階説を若干書き直していただけるのではないかと思うのである。