2014年6月6日金曜日

解離の治療論 (51)

「自己愛」と「トラウマ」という、どちらもきわめて広く用いられている概念をつなげた「自己愛トラウマ」が、キーワードとして(私の著書のタイトルを別として)全く検索されないのは興味深い。


私の一番の悪癖は、読書嫌いということだ。しかもそれが私の悪癖だということで開き直って、ますます本を読まない。と言っても一般的な読書は好きなほうで、いつも手元から好きな本は離さない。問題は専門書である。精神科関係、解離関係の本を読まない。仕事だと思うと途端に興味を失ってしまう。しかし多少無理をしてでも読まないと「専門家」としての資格を全く果たせなくなってしまう。そこでこのブログの力を借りたりする。
 解離の治療論は、脳科学的な情報を持つことでどのように変わるのであろうか?ということでAllan Schoreを読む。前もこのブログで読んだことがあるが、大変な碩学である。彼は脳と臨床を結び付けて論じるという活動をたいへん精力的に行っている。彼は右脳の発達と解離の問題について非常に啓蒙的な著作を表している。
Allan Schore: Attachment trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In D book, 107~140 を読む。
 ショア先生は次のように説明する。幼少時には右脳を中心とした発達がみられるが、そこで決定的な役割を果たすのが愛着である、と。脱線だが、最近アヴェロンの野生児についての記述を読んだが、幼少時に人間とのコンタクトを持てないと、本当に野生の動物のようになってしまう。あたかも深刻なトラウマを負った、手負いの犬のような振る舞いになってしまうのだ。だからショアさんのいう、関係性のトラウマが解離に関係するという理屈はわかる。ただし解離は、ある意味で二次的な反応というのだ。母親による情緒的な調節を行えないと交感神経が興奮した状態が引き押される。すると心臓の鼓動や血圧が更新し、発汗が起き、一種の興奮状態が訪れる。しかしそれに対する二次的な反応として、今度は副交感神経の興奮が起きる。するとむしろ鼓動は低下し、活動は低下し、ちょうど擬死のような状態になる。この時とくに興奮しているのが背側迷走神経のほうだ。(迷走神経を腹側、背側に分けて考えるのは最近の理論である。)解離はこの状態として、生理学的には理解できるというわけだ。
そしてショア先生はこの状態と、いわゆるタイプDの愛着との関連に転じる。

ここでこれまで書いた治療論に引用を追加するならば、次のような点か。「解離性障害の治療を考える際、それが基本的には愛着トラウマ(Allan Schore: Attachment trauma and the developing right brain: origins of pathological dissociation In D book, 107~140)による障害として理解されることを常に念頭に置くべきである。治療の葛藤モデルに従うか、欠損モデルかといった疑問に対するヒントとなるだろう。」← これでは全然ヒントになっていないかもしれないが。