2014年5月31日土曜日

解離の治療論 (45)欧米における解離の治療論(19)

 数か月前に書いたことだが、案外いいことを書いてあるので、少し書き直して採録。要するにトラウマを思い出すという作業をどこまで治療者側が援助するか、というテーマだ。私が昨日赤い字で書いたことは、「まあ、それもありかな。でも決して無理強いはいけない。それは侵入的だ。」ということである。昔は患者が自分から選択して自らを拘束してもらい、それから過去のトラウマを思い出す、というやり方はかつてはしばしばなされ、「適切な方法」として用いられていたが、それいまでは疑問視されているのである。私が昔アメリカのテレビで見たは、ある治療施設で、患者を拘束したのちに過去のトラウマを思い出させるVTRを見せるというものであった。しかしそれが解離性障害の治療の通常のプロトコールに組み込まれないとしたら、それなりの理由があるのだ。つまりそれはハイリスク、ハイリターンだということである。
「私はある記憶について思い出したいのですが、暴れるかもしれないので、両親にあらかじめ手を握っていてもらっていいですか?」と問われたら、私はそれもありかな、と思うだろう。しかしその途中で患者が捻挫や骨折などしようものなら、それで訴えられたら医師のほうに勝ち目はあるだろうか? あるいは別の人格が、「私は承知していなかったのに、医師がほかの人格と結託して私を拘束した」と証言した場合に申し開きが出来るだろうか、ということになる。それでも普段だったら出現することがない人格が出てきて自己表現をする機会が与えられることの意味はあるのであろうが、おそらくそれにより一気に病状が好転する、というわけでもないのであろう。ということは、ハイリスク、ローリターンであることすらありうる。
そこでこのような一文を付け加えよう。「なお入院治療において黒幕的な人格の解放や過去のトラウマの想起を促進させるという試みには、充分な慎重さが要求される。」