2014年5月13日火曜日

解離の治療論 (33)欧米における解離の治療論(7)

さて夢の話でずいぶん回り道をした。というより別のところに行っていたわけだ。ようやく元の解離の文脈に戻る。と言っても誰も読んでないか。
解離の話は尽きることがないので、延々と書いていて、そのうち本にしようと思っていたら、ある由緒正しいところからの依頼論文が舞い込んできたのだった。そこでそれに向かってまとめるつもりでのこれまでの記述を再考している。それを数回行ったところで、夢の準備を急がなくてはならなくなったのだ(ナンの話だ?)
そこで過去数回を一挙に短縮して、ここに掲載する。と言いながら再推敲だ。いずれやらなければならないからね。

<欧米における解離治療論>
解離の研究に関しては、解離の国際学会がそのオピニオンリーダー的な役割を担っている。それはInternational Society for The study of Trauma and Dissociation “ISSTD” 「国際解離研究ソサエティ」と呼ばれるものである。そこが発刊している Guidelines for Treating Dissociative Identity Disorder in Adults, third revision (成人DIDの治療ガイドライン、第3版)という論文(ISSTDの学会誌であるthe Journal of Trauma and Dissociation のサイトで無料でダウンロードできる。 http://www.isst-d.org/downloads/2011AdultTreatmentGuidelinesSummary.pdf)が非常に参考になる。
この論文では初めにDIDの成因についての理論的な説明がある。そこには「例外を除いて幼少時のトラウマが原因である」と書いてある。解離は幼少時のトラウマに対する防衛であり、それも闘争・逃避反応のような類のものであり、精神力動的な概念である防衛とは異なる、とある。
ISSTDが欧米の多くの国が参加して行われる国際的な学会であることを考えると、解離が幼少時のトラウマにより生じるという考えはおおむねコンセンサスを得ているといえる。ただし筆者としてはやはりトラウマというよりはストレス(dissociogenic stress (解離原性ストレス、岡野、1997)と呼んだものを考える必要があるのではないかと考える。
ちなみにこの論文の冒頭では、もう一つ少し気になることが書いてある。「DIDはもともと統合されている心に生じた問題ではない。正常な心の統合がうまく行かなかったことが原因だ。そしてそれは圧倒的な体験や、養育者との関係の障害(例えばニグレクトや、問いかけに応えてくれないなど)が幼少時の臨界期に生じたことによる。その結果として心にサブシステムが形成されたのだ。」ここで「心が統合されていないうちにトラウマが起きることで、解離が生じる」、という部分が誤解を招くと考える。
 子供は小さいながらに統合された心を形成しつつある。ところが圧倒的な出来事が起きて意識の活動が頓挫する。その間に脳の別のネットワークが心の働きを代行すべく機能を開始する、ということが起きるのだろう。それが解離の始まりなのだ。問題はこのもう一つの部分の心が独自に人格を持つという現象が幼少時にしか典型的に起きないということだろう。それはなぜだろうか? 一つの可能性は幼少時には「心が成熟していないから」ということであり、それがこの「ガイドライン」の主張なのであろう。しかしそうではなく、幼少時には特殊な能力が備わっているから、と考えるべきだろうと私は思う。つまり人間の脳のIPS細胞的な性質なのである。
 この点をもうちょっと説明しよう。圧倒的な出来事が起きた時、大人でも朦朧としてしまい、トランス状態になることがある。いわゆるperi-traumatic dissociation (トラウマ周辺の解離)、という状態だ。それを仮にB状態としよう。B状態はやがてフラッシュバックのように襲ってくることになるだろう。構造的解離理論がこれをEP(情緒的な人格部分)と呼んでいるのは私も知っているし、それはうまい考えだと思う。つまりフラッシュバックした時は、体験そのものがよみがえっているというよりは、人格状態が丸ごとよみがえってくるんだよ、と言う含みだ。PTSDを解離の範疇に飲み込むような概念である。
問題はB状態がどこまで精緻化されるかということだ。精緻化sophistication とは要するに、B状態が「顔なしさん」ではなく、目鼻が書き込まれ、名前まで備わっている状態になるということだ。

 B状態にある人格に目鼻が書き込まれ、名前が与えられるというのはつまり、DIDで比較的典型的に見られるような、プロフィールのはっきりした交代人格状態にまで成長しうるということを比喩的に表現している。ではどうして子どもはB状態をそこまで精緻化できるのか?私には一つの仮説がある。それは子供の同一化の能力だ。子どもはアニメのキャラクターに「なりきる」ことが出来る。この種の「なりきり」は成人の同様のそれよりワンランク高度なものである。
 ここで類推されるのが、言語の習得のプロセスである。子どもが母国語を話し出す際は間違いなく模倣のプロセスを含むが、彼らの発音やイントネーションは完璧なそれになっていく。これはそれ以後に行われた外国語の習得とは明らかに違う。中学生になり、英語の教師の口真似をして人工的に学んでいくプロセスは単なる模倣に過ぎない。私たちが語学として学んだ外国語を操っているときの不自然な感覚、false self  の感覚はまさにそこに由来する。
 どうして子どもは自然に「なりきる」ことが出来るのか。おそらくミラーニューロンの活動の程度が極めて高いからであろう。子どもにとって最も重要なプロセスの一つは、大人の模倣をし、意思伝達を行う言語を獲得することである。その為のミラーニューロンの活性の程度は並外れているのであろう。そしてそれは思春期の到来とともに低下して行く。子どもは日本人になったうえに、外国人になる必要はあまりないわけだ。アイデンティティは取りあえず一つあればいい。それ以上あるとかえって混乱するだろう。その為にも周囲に同一化してなりきる能力はある程度抑制されていかなくてはならない。
 B状態が人格として成長する能力にも、周囲の何らかの表象を取り込み、それを自分のものとして精緻化して行くというプロセスにはミラーニューロンの活動が欠かせないのであろう。例えば母親にとって「いい子」の人格を形成するためには母親が理想の子どもとして思い描いているであろうイメージを取りこみ、同一化する能力が必要なわけだ。
ところでこう考えて行くと、同一化、なりきりの力と同様に重要になってくるのが、子どものファンタジーを抱く能力である。同一化は、いわばコピーの能力であるが、ファンタジーはそこに自分の側からの加工が加わる。少年がアニメの主人公と同一化して振舞う為には、そこに新たなストーリーを作り上げて、その中で遊ぶ必要がある。そう、ここでミラーニューロンに支えられたコピー能力と、ファンタジー能力を二つ分けておいたのを記憶しておいていただきたい。
ということで再びガイドラインに戻ろう。192ページのepidemiology(疫学) についての項目。精神科の患者のうち1~5%がDIDの診断基準を満たすという。ということは実際の人口ではこれよりかなり少ないということになるか。私はここら辺に異論はない。そしてそれらの患者の多くがDIDとは診断されていず、その原因としては、臨床家の教育が行き届いていないから、とある。大部分の臨床家は、DIDが稀で、派手でドラマティックな臨床症状を呈すると教育されているという。しかし実際のDIDの患者は、明らかに異なる人格状態を示す代わりに、解離とPTSD症状の混合という形を取り、それらは見かけ上はトラウマに関連しない症状、たとえば抑うつやパニックや物質乱用や身体症状や食行動異常などにはまり込んでいるという。そして診断はこれらのより見かけ上の診断を付けられ、それらの診断に基づいた治療がなされた際の予後はよくないという。ここら辺は事情は日本とほとんど変らないと言うことか・・・。ただし一つだけ異論あり。DIDの人で臨床上問題となる人はしばしば鬱を併発しているが、鬱の治療って大事だと思うけれど。
 さてNOS(他に分類できないもの)についてはどうか。臨床現場で出会う解離性の患者の多くはNOSの診断を受ける。ここには実際はDIDだが診断が下っていない場合と、DIDに十分になりきっていないタイプとが属するという。
 後者に関しては、複合的な解離症状を伴っていて、内的な断片化がある程度生じていたり、頻繁でない健忘が生じているものの、もうちょっとでDIDにいたっていないという場合であるという。ここら辺も特に異論はない。ただし私の感想としては、DIDの人は、人格が精緻化されるという方向にまで普通は行き着いているようである。人格の精緻化のプロセスは、いったん始まったらあとは半ば自動的に起きるプロセスといえるのではないか?
私の印象では人格の精緻化が、かなり急速に進むタイプと、一定以上は進まないタイプがあるようである。それは人格に特異的というよりは、患者さんに特異的である。例の「顔に目鼻」の比喩を用いるならば、典型的なDIDの患者さんの中で目鼻のない状態なのは黒幕さんだけで、あとはたいていかなりはっきりとした目鼻がついている。ところが解離性遁走の場合には、DIDに「併発」していない限りは目鼻がはっきりしない方のほうが多いようである。
さて施すべき心理テストはたくさん書いてある。以下頭文字のみである。SCID-D, DDIS, MID, DES, DIS-Q, SDQ-20.
さて肝心の治療論に近づいているが、こんな興味深い記載もある。
「医原性のDIDについてはかねてから活発な議論があった。しかし専門家の間ではこのことはつよく否定されている。」
DIDの症状の全体にわたって、医原性に作られたということを示すような学術論文は一つも出されていない。」
うん、心強い記載である。しかし「ただし・・・・・」と続く。
「他のいかなる精神科的な症状と同様、DIDの提示は、虚偽性障害や詐病である可能性がある。DIDをまねるような強い動因が働く場合には注意しなくてはならない。たとえば起訴されている場合、障害者年金や補償金などが絡んでいる場合。
ここに書かれているのは事実かと思うが、やはりDIDは詐病との関連が指摘されることが多いのはなぜなのか? 例えば統合失調症についての鑑別診断に、詐病や虚偽性障害が言及されるだろうか? おそらくないだろう。ところが解離性障害となるとこれが出てくる。では実際に多いのだろうか? 私の感覚では決して多くない。というより私の経験では、DIDが鑑別診断上問題となった数少ないケースは、概ね統合失調症の方である。もちろん誰かが演技をしてDIDを装うことはできるであろう。でも同様に統合失調症を、PTSDを、パニック障害を装うこともできる。それにプロフィールの複雑さを考えるとしたら、DIDを真似するより、統合失調症やPTSDやパニック障害を真似する方が容易である気がする。
 DIDを装うとした場合、ではその理由、ないしは利得はなんだろうか?これもあまり大したことはないだろう。障害者年金のことだろうか? しかし精神科医が患者の障害者年金の申請書を書く場合、「解離性障害」だけでは説得力がないことを私は知っている。なんといっても統合失調症、うつ病などが障害の重みを伝える診断名である。だからそのためにDIDを装う根拠はほとんどない。
 では犯した犯罪の責任を逃れるためか?しかし裁判で「あの人を害したのは、私の中の別の人格です」という主張が通ることは普通はないのである。裁判官に一笑に付されてしまう可能性が高い。とするとDIDが詐病と関連付けられる外的な理由は事実上ないことになる。というよりも誰が、これほど誤解と偏見の伴うDIDを好き好んで装うのだろうか?

ということで結論としていえるのは、解離性障害の性質として、詐病や虚偽性障害を疑われやすいという特徴があると考えるしかないであろう。もうその種の扱いを受けることがDIDの性質そのものなのだ。