2014年5月12日月曜日

現代における夢理論(8)

夢の創造性
私自身の立場を表明するならば、ホブソンらの理論や池谷氏の伝える夢における海馬の役割から、夢のあり方のかなりの部分は説明可能になると考える。夢は日中の体験の残滓や昔の記憶など、おそらく海馬に保存されている内容とがランダムに入れ替えられる。しかし本当にランダムかといえば、そうではないかもしれないとも考える。というのもある種の夢に関しては、その出来栄えが、単なる記憶のランダムの配列とは思えないほどのものだからだ。それが夢の創造性ということである。あたかもその配列を誰かが意図したかのような可能性が疑われさえする。
少し余談だが、私はある時、人間が作りえたメロディーの中で一番いい出来栄えのものは何かを考えていた。私にとってはそれはビートルズの「イエスタディ」だということになった。ポールの作曲によるこの曲はいったいどうして出来上がったのだろう。ところがネットで調べるとこんなことが書いてある。
日本版のウィキ(「イエスタディ」の項)を引用する。
ポールは、この曲が出来た経緯について「就寝中に夢の中でメロディが浮かび、あわててコードを探してスタジオで完成させた」と答えている。また「あまりにも自然に浮かんできたものだから、別の誰かの曲のメロディなんじゃないかと思って、みんなに聞かせて回ったけど、誰もこのメロディを知らないみたいだったから、僕のオリジナル曲だと認識した」とも述べている(後年、クラシック等によく似たメロディが発見されたというニュースもあったが関連は不明)。
問題はランダムな音階のつなぎ合わせがあれほど美しいメロディーを偶然に作りえるのか、ということだ。恐らくそうではないだろう。モーツァルトが目が覚めたときに交響曲がスコアごと頭に浮かんできた、というエピソードを聞くと、「どこかで誰かが意図的に」作っているのではないかと疑ってしまう。
しかし自然界でもよく似た議論が起きる。そもそもどうして生命は生まれたか?そのもとになったアミノ酸は、原子のカオスの中から有機物が偶然産生されるというプロセスを経ているという。まあアミノ酸くらいまではいいだろう。小石を入れた箱をゆすっていると、ところどころに小石が組み合わさった石垣のような構造が出来てもおかしくない。でも別の部分はバラバラだろう。それと同じなのだ。どこかでそろばん作りのビデオを見たことがある。立体菱形のそろばんの玉(というのかな?)を箱にバラバラに入れて、あとは串(そろばんのたまを貫く細い棒)が並んでいる串を入れていくだけ。串の先から順番に玉が入っていく。これが実にうまくいくのだ。しばらくするとそれぞれの串にたまが詰まっていく。玉がバラバラに入っている箱のカオスから構造が出来上がっていくのだ。でもその調子でDNAまで行くんやろか?
ただしここで人間の脳と自然界では、人間の脳のほうに圧倒的に分がある。大体眠っている間にも脳はしっかり意識外で働いているのである。恐らく作曲の才能のある人は、無意識でそのメロディの価値を査定しているのであろう。ポールの報酬系は、おそらくイエスタディのメロディがたまたま合成されたときに強く反応し、そのメロディが他のそれに比べて格段に強く海馬に焼き付けられたのであろう。

ところでこの創造性の過程を夢の理論の中で論じているが、創造性の問題は別にレム睡眠に限ったものではないのは当然である。ポールだって大部分の曲は、日常的に突然向こうからやってくるという形をとっているのであろう。それがたまたま夢の中でも生じるということが、創造過程が基本的に意識外で生じるということの裏付けになっているということに過ぎない。