2014年4月8日火曜日

続・解離の治療論(25)


少し私的な話になるが、私はこの問題について、あまり最近まで定見を持たなかった。トラウマ記憶はどのような場合に扱い、どのような場合にはそのままにするかについて、はっきりした見解がなかったのである。
私の定見がなかったことは、いわゆる暴露療法に対するネガティブな姿勢に表れていた。「トラウマに患者を暴露させるなんて、野蛮じゃないのか?大体そんなことをされた患者さんの身にもなってはどうか?」ところがよりバランスの取れた視点からすれば、暴露療法は、その必要がある、あるいはそれにより治療効果が期待される患者さんに対して注意深く試みるものなのである。私は以前はPTSDの症状が取れずに苦しんでいる人に対して、何も具体的な対処をとれないでいたと思う。しかし今は「経済的な余裕があり、有能な治療者がいた場合、暴露療法が効果があることが多い。」ということを知っている。結果としてその患者さんが暴露療法を受けるかどうかは別にして、このことを知っていて、患者さんに伝えられるかどうかは治療者としては大きな違いだろう。
さらには暴露療法により何がどう変わるかがわからなかった。脳科学的にイメージができなかったのである。この件に関しては「記憶の再固定化」というテーマでTRP(治療的再固定化のプロセスtherapeutic reconsolidation processBruce Ecker , Robin Ticic , Laurel Hulley,Unlocking the Emotional Brain: Eliminating Symptoms at Their Roots Using Memory Reconsolidation. Routledge; 2012.

TRPについてここで述べる余裕はないが、私が主張したいのは黒幕人格を扱うことは、暴露療法にも似て、「ハイコスト、ハイリターン」であるということだ。ここで「ハイリスク、ハイリターン」であると書かないのは、暴露療法にリスクが伴う、という印象を与えたくないからだ。ただしそう断ったうえで言うならば、暴露療法は一種の外科手術的なニュアンスがある。十分な配慮をし、準備を整え、多くの人手を費やし、高い費用をかけて行うprocedure である。そしてそれは黒幕人格を扱う必要がある際には行い、それ以外は行わない、ということだ。ではどのような場合に「必要」なのか?このことを考えると、実際に黒幕人格を扱うことの必要性はかなり少ない、という話になっていく。