2014年4月30日水曜日

私の夢理論(2)

ここで「脳から見える心」第7章 夢と脳科学を参照したい。なんだ、結構書いているじゃないか。今でも全く同じことを書くと思う。以下は同書の引用。(中に、さらに引用をしている部分がある。私自身の孫引きである。ということは数年前から同じことを言っているということだ。進歩がないな。)
今朝は壮大な夢を見て目が覚めた・・・。起きてしばらくはそのパノラマのように展開する内容を思い出し、そこに暗示された様々な真理(のごとく感じられるもの)の奥深さに胸打たれ、自分はなんと凄いものを見たのだろう?と呆然としている。しかし・・・・感動の記憶を残したまま細部がどんどん抜け落ちていく。そのうち、「あれは何だったんだろう?」と首をかしげながら布団から抜け出すのである。
 夢の過程は、私たちの精神活動の中で最も複雑なもののひとつである。その内容は奇抜で、時には意味シンで暗示的で、時にはグロテスクでまったくナンセンスである。これこそがネットワークの自律性のひとつの典型的な表れといえるのだ。しかし心の臨床では、やはり夢は別格の扱いを受けてしかるべきであろう。そこでここに新たに章を設けて、夢の問題について論じたい。
 フロイトが作り上げた精神分析理論は、それがきわめて秩序だった意味の生成過程であるという前提の上に成り立っていた。それ以来精神分析家の多くが、そしておそらくそれ以上に多くの患者が、夢の内容から意味を見出そうとして頭を悩ませてきた。(この傾向はもちろんユング派の方に顕著であろうが、私は詳しくないので語ることが出来ない。)しかし夢の理論がフロイト以来長足の進歩を遂げたということを私たちは聞かない。たとえば「葉巻という夢の内容が1990年代において何を最も象徴しているかについての実証的な研究」・・・・などというものは存在しないのである。 
 そのような夢の研究の歴史に、一つのセンセーショナルな影響を与えたのが、ハーバード大学のマッカーリーとホブソンの提唱した「賦活化・生成仮説」というものである。(アラン・ホブソン (), 冬樹 純子 (翻訳夢の科学そのとき脳は何をしているのか? (ブルーバックス) [新書] 講談社 2003
1977年の説であるから、35年前ということになり、もう相当古い説だ。実はこれは前書「脳科学と心の臨床」に短い形で記載してあるので少し引用しよう。
アラン・ホブソンというハーバードの研究者は,1970年代に,夢に関する独自の仮説を提出した。それが賦活化・生成仮説activation-synthesis hypothesisと呼ばれるものであった。REM睡眠中は主として脳幹からPGO波といわれるパルスがランダムに脳を活性化し,それが夢と関係しているのではないかという説である。脳はいわば自分自身を刺激してさまざまなイメージを生み出し,それをつなげる形でストーリーを作る。それが夢であり,その具体的な素材には特に象徴的な意味はないというわけである。
 ホブソンはまた,睡眠中の神経伝達物質の切り替わりにも注目した。覚醒時に活躍する神経伝達物質であるノルエピネフリンとセロトニンは,REM睡眠中はアセチルコリンへとスイッチすることで,運動神経の信号は遮断されることになり,体は動けなくなる。またノルエピネフリンとセロトニンは理性的な判断や記憶に欠かせないが,それが遮断されることで夢はあれだけ荒唐無稽で,しかもなかなか記憶を残すことができないという。
 この仮説は少なくともそれまで多くの人に信じられていたフロイトの仮説に対する正面切ったアンチテーゼということができる。