2014年4月26日土曜日

フォサーギ先生の夢理論(10)

3.夢の内容を翻訳したり、何か別のものが置き換わっていると見るのではなく、それが何を象徴しているかを考える。個々のイメージとは夢の文脈に埋め込まれた単語のようなものである。
正直私はここらへんがわからない。「置き換わっているのではなく、象徴と見る」というが、象徴って、普通置き換わっているのではないか?昔隠喩と換喩の違いについて聞いたことがある。メタファーとは例えば「一杯やろう」という時の、盃=酒、という感じ。換喩は王冠が王様を意味するように、そのものの一部を象徴する、と学んだ。どちらも広い意味での置換えだ。置き換えていない象徴ってナンだろう。よくわからないや。結局翻訳や、置き換えの可能性を考えない夢の解釈は不可能だと思うのだが。やはり結局ここでもやはり実証主義 positivism 的な発想が問題なのではないか? つまりフォサーギ先生は夢には意味が有ることを前提としているのだ。一つの正解を前提とする態度。それが実証主義である。
 先生はこんなふうにも書いていらっしゃる。
4.一度夢のシナリオが同定されたら、分析の課題は患者の覚醒時の生活の中で、そのようなテーマがいつ、以下にして見られるかを同定することへと移る。
・・・・・・。やっぱりね。同定を目指すわけだ。でもそれが難しいんだよね。さらに言う。「もしそれが分析家に関係したことであれば、その夢は転移を表しているということになるという。」しかしフォサーギ先生は、「なんでも転移」という方ではないらしい。
1.           夢の内容がなんでも転移、というわけではない。ただし夢の中に分析家が出てきたり、患者が夢の内容をすぐさま分析家に結びつける場合を除いて、である。
って、そりゃそうだろう。もうノーコメント。
ということで論文の最後に、ある夢の例が出てくる。フォサーギ先生が報告して、そのあとクライン派とコフート派のふたりの有名な先生がコメントをしたそうだ。これを少し書いておこう。
かつて先生にはジェシカという患者さんがいたという。長年うつ状態に苦しんでいたが、分析のプロセスの中で徐々に回復していったという。ある時先生には心配事があり、顔色が悪かったが、ジェシカは目ざとくそれを発見して、「死にかけた老人」という印象を持ったという。(セッション中の自由連想でそんなことを言ったのかしらん。論文ではぼかしてある。患者の立場としてはなかなか言える内容ではないが。)そのイメージはジェシカの父親を表していたらしい。その父親はジェシカが子供の頃長くうつ状態を病んでいたという。
そしてジェシカはその夜見た夢を報告した。
私が霊安室に呼ばれると、おじの遺体が横たわっていた。しかしその死体は痛みにのたうち回っていた。彼の横には私のふたりの姉が膝まづいていた。彼らも固まって死んだようだった。私ははじめおじの痛みをとってあげようと、声をかけたが、何も効果が無かった。私は絶望的な気持ちになった。私はそこを去らなくてはならなかった。
ジェシカは、この夢をフォサーギ先生の不安そうな顔と直ちに結びつけ、不安そうな人を見るのは耐えられない、と語った。という。
この報告を読んだクライン派の分析家は、「この夢は患者の持つ攻撃性を意味している」と解釈したという。ジェシカがこの男を苦しめているのであり、彼女はそれに直面しているという。これについてフォサーギ先生は、「夢の中で患者がこの男性を苦しめているという手がかりは一切得られない」と論駁する。

次にコフート派の先生の解釈。「夢は患者のうつ状態を表している」と言ったという。しかしフォサーギ先生にしてみれば、「夢の中に患者が自分のうつを投影しているという証拠は何もない」というわけで、とこれも退ける。
 さてフォサーギ先生自身の解釈。「この夢は、抑うつ状態にある他者に対するstruggle である。(struggle は訳しにくいが、葛藤、苦しみ、というニュアンスだ。)ポイントは、彼女が「私はそこを去らなければならなかった」と言っているところだそうだ。それは彼女が姉たちのように父親のもとにとどまって固まって死んだようになっていたのではなく、父親のもとを去る必要があったことを意味していたのである、という。