2014年1月3日金曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(19)


この2について思い出すことがある。むかし梶原一騎氏の自伝を読んだことがある。そこに彼が傷害罪か何かで捕まって収監された時の体験が書いてあった。梶原一騎といえば「巨人の星」や「愛と誠」などの数多くの人気漫画の原作者として名を知られたとともに、彼自身が極真空手の猛者として知られ、当然のことながら態度もデカく、盛り場で毎晩のように豪遊し、周囲と恫喝し、Nの典型のような人だったと理解している。しかし彼が刑務所に入り、ほかの囚人と同じような生活を余儀なくされると、それこそ冷暖房もないような環境で整列し点呼を受け、それまでの生活とは180度違う、屈辱に満ちた生活を送るようになる。すると今度は毎食の献立を気にし、懲役により得られずわずかな現金を持って、刑務所の内部にある購買部でチマチマと何を買おうか、ということを考えることが楽しみになったと書いてあった。彼の限りなく膨らんでいたであろう自己愛の風船は一瞬でしぼみ、しかもそれで自殺をしたくなったりするわけではない。
 ここで元の本を読み返さずにうろ覚えで書いているだけだが、読んだ当時は「梶原一騎ってすごい、ただものじゃない」と思った。しかし今はあまりそうは思わない。人はナルシシズムの風船をこうやって萎ませることもできる。その能力がないと、下手すると自分より強い人間の風船を傷つけることになるではないか。ナルシズム人間は、同時に偉大なるゴマすり人間でもないと存在できないのではないか。
 この変わり身の早さは一種の本能か。それとも学習効果か。おそらく両方であろう。動物において、闘争反応から逃避反応へは、それこそ一瞬で切り替わらなくてはならない。敵が自分より強いと判断した瞬間に、逃げに転じるのだ。そうでなくては生き残ることができないのだ。それと同時に下を力で支配する人間は、上の姿が現れた瞬間にはすり寄ることをいとも簡単に行う。すり寄りやゴマすりは「昔取った杵柄」だからだ。梶原一騎だって、売れない作家時代や、空手の白帯時代の下積みを体験し、一瞬でそのモードに変わることもできるのだろう。(するとこのモードに変わるのに慣れていないであろう有名子役などはやはり将来苦労するのかもしれない。)
3.それが侵害されたとの感覚は、一瞬の、心の痛みを伴った恥の体験の直後に、侵害した人への攻撃が許容される範囲において、怒りや攻撃として発現する。
4侵害者への攻撃が不可能な場合には、恥辱として体験される。
この34、実はこのエッセイの最重要部分である。そしては同時に論じられなくてはならない。